原題は「エディーデューチン物語」である。エディデューチンはピアニストであったが、私は彼の演奏を聴いたことはない。映画の中での演奏はカーメンキャバレロによるものである。
明るい雰囲気と、前半のエディ(タイロンパワー)とマージョリー(キムノヴァク)のカーメンキャバレロのロマンティックなピアノをバックにしたデートシーンは恋愛映画を予感させるのであるが、マージョリーが風を恐れる場面から、やがて、この映画は愛と死と人生の残酷さをテーマにしていることが明らかになってくる。
エディの「人生は残酷なものだ。」という科白はそれをよく表している。
マージョリーという伴侶を獲得したエディはピーターという子供をもうけた直後にマージョリーは死んでしまう。やがてエディは「エディーデューチン・オーケストラ」を率いて成功を収めるが、すぐに余命いくばくもない病魔に冒される。二度の華やかな成功を「死」に奪われてしまうという、そのままではあまりに残酷なストーリーである。
マージョリーを奪われたようで、無意識にピーターを遠ざけていたエディも、ピーターと父親として和解するが、自分の死をピーターに告げるシーンは切ない。この場面でも風が不安をあおるように吹き荒れる。
ピーターの乳母をしていたチキータ(ビクトリアショー)は死期の間近いことを知りながら、エディと結婚することを決意し告白するところは、救いではあっても残酷なシーンである。しかし、美しい。
エディとピーターが自宅でピアノの競演(ショパンのノクターンE♭)をするが、エディに発作が起こり、チキータがショックを受けた表情をするが、突然エディは画面から消え、ピーターが演奏を続け、チキータが穏やかな表情で聞き入る場面で映画は終わる。神話的な終わり方である。
ストーリーは当に悲劇的である。救いは何かとといえば、カーメンキャバレロのロマンティックなピアノ演奏と、マージョリーとチキータの女性としての魅力であろう。女性がいかにも女性らしかった古きよき時代がよく表れている。この二つの要素がこの映画のストーリーの悲劇性をやわらげ、観る者を感動に誘ってくれるのである。
私もこの映画にでてくる「マンハッタン」という曲が好きでよくひとりで弾くのは、この映画の影響である。私にはこの曲が一番ロマンティックに聴こえるからである。
人生は残酷である反面、素晴らしいものにも出会えることを教えてくれる映画である。
古い映画ですが、皆さんにもお勧めします。
荒井公康
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