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タイトル 護国寺(ごこくじ)【蔵出し】(18景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2021/01/20 07:59:09
護国寺(ごこくじ)【蔵出し】(18景)
説明 護国寺は、文京区大塚にある寺院で、天和元年(1681年)将軍徳川綱吉は母、桂昌院の願いをうけ、桂昌院の祈願寺護国寺の建立を命じたものです。
本尊は桂昌院念持仏の琥珀如意輪観音 (絶対秘仏)。
江戸時代には、浅草寺、回向院に次いで出開帳の宿寺として人気があったそうです。
東京の道路は京都や大阪と違って曲がった道が多いのですが護国寺の前の道は直線道路になっています。
理由はコメント欄に。

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コメント

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COSMOSさん

江戸に都市を作った徳川家康は江戸の防衛を第一に都市づくりをやったと言われています。京都や大阪と違って碁盤の目のようになっていないのもその表れだそうです。当時の最大の武器は鉄砲。鉄砲の弾はまっすぐに飛び曲がることはありません。その弾があたらないように道を曲線にしたのだそうです。東京の道は今でも分かりにくいのはそのためですが、唯一真っ直ぐな道があります。それは江戸城の半蔵門前から真っ直ぐに伸びている甲州街道です。これは将軍の身に危険が迫ったときに甲府城まで逃げるため真っ直ぐにしたのだそうです。護国寺の前の直線道路は徳川綱吉の母、桂昌院が京都の出身のため護国寺を京都御所に見立て、そこから朱雀大路に似た直線道路を作ったと言われています。江戸時代にあった直線道路はこの二つだそうです。

2021/01/20 07:59:27


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