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平成の虚無僧一路の日記

「半僧半俗」と「非僧非俗」の差 

2011年12月07日 外部ブログ記事
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中日新聞連載の五木寛之『親鸞』。いよいよ11日で最終回。
少し見えてきた。「仏を謗(そし)る極悪非道の者でも、
死んでのち、あの世で救われる。現世で阿弥陀如来への
信仰に目覚めた者は、この世で救われる。闇夜に光を
求める者が、『南無阿弥陀仏』と念ずれば、勇気と知恵が
湧いてくる」と。

そしてまた「救われるかどうかは、阿弥陀如来の『他力』を
“信”ずるか否か。その“信”も 時として揺らぐ時、
『念仏』を唱えれば、また“信”が湧いてくる」とも。

浄土真宗の僧侶たちは、『五木・親鸞』をどう受け止めて
いるのだろうか。反証はしないのだろうか。

ひとつ判ったことは、浄土真宗の僧侶は、坊さんなのに
剃髪(坊主頭)にしないことだ。親鸞は、比叡山天台宗の
正式の学僧では無かった。正式の僧侶では無かったのだ。

そして、五木寛之は「『非僧非俗』とは、決して『半僧半俗』
ではない」と。これは、虚無僧にとっても大事に言葉だ。

虚無僧も剃髪しない「半僧半俗」だが、「半僧半俗」では
なく「非僧非俗」でなければならないと。これからの
課題は、この差を識る修行か。

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