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出会いと別れ 

2011年11月25日 外部ブログ記事
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観覧車回れよ回れ想い出は君にはひと日我には一生(ひとよ) (栗木京子)


数え切れないほどスケッチ旅行を共にしたかつての絵仲間Yさんが1年も前に亡くなっていた。
生徒たちによる遺作展が、新聞紙上で報道されるまでグループのだれもこの事実を知らなかった。
それでも不思議なほど動揺はなかった
予想はしていたはずだから。いつか必ずこんな日が来ることを。

会うは別れの始め。
ある日突然近づいてくる未知の人もあれば、理由も言わず離れてゆく知人もいる。
肉親であっても友人であっても不思議ではない。

一から始めたYさんの描く絵はお世辞にも上手いとはいえなかった。
それなのにとんでもない迫力のある大作をものにする。
写真連盟の長から一転して日本画へと変わったのは、どうやらその強い個性にあったらしい。

「孫だかペットだか喜んで描いているうちは上達なんてしないよ」
シニカルに笑うYさんは、雨でも雪でもかまわず精力的に足を延ばして、出不精の私を方々の秘卿にも案内してくれた。
今、楽しみつつなどと惰眠をむさぼっている姿を見たらなんというだろう?
案外同調してくれるかもしれない (俺さまだって年貢の納め時ってものがあったんだから)
となっても、喜ぶべきか悲しむべきか? 

     。。。。。。

お昼近く電話が鳴った。
誕生日の打ち合わせで、それから息子の携帯と私のPCでメール、返信、その返信、また返信、なんと十数回。
これって初めの終わり。
そもそもメールのやり取りにご飯を食べながら3時間なんて、オアソビにしろ二度とないこと。
あしたは雪だ。

午後旧友の一人が体調やや回復して、諦めていた温泉行きの念押し電話がある。
その打ち合わせにかけた時間も、なにかいとおしい午後になった。

そして夕方。
食事時間にはまだ間があるとみてPCで動画のサイトを開いたとき
秋の大学リーグ何気なく覗いた試合に1番打者で太郎が映っている。
眼鏡をかけなおし、監督の横に幼顔の残る表情で立つ一瞬を苦労してPCの中に保存した。


その日ベッドに入って鎮まった心に、じわじわと湧きあがってくるものがあった。
もうそろそろ孫の絵の一枚くらい描いてもいいよね
Yさんの訃を知った日に、悲しみや痛みとは程遠い、懐かしいような不思議な感覚。

 “観覧車回れよ回れ想い出は君にもひと日我にもひと日”
こぶしを振って叫び出す代わり、愛唱の句を何度も口ずさんだ。歌詞だけを自己流に変えて。

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