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八十代万歳!(旧七十代万歳)

志木で語ることに頭がいっぱいで。 

2024年05月19日 外部ブログ記事
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八どんとムジナ橋
志木市役所からいろは親水公園に入りまして、ず〜っと奥まで進みますと、新河岸川に柳瀬川が流れ込むところになりますね。その僅かに先の右側に、引又河岸という船着場が有ったそうです。引又地区には豊かな商人が多く、田子山富士塚を作ったリーダーの高須正吉さんも、引又の醤油醸造業の当主でした。引又地区が代表する志木の町は、志木街道と新河岸川舟運の引又河岸からなる物資の流通の拠点だったのですね。江戸からも川越方面からも物資が集まり、周辺の町村からの物資は船や荷車で各地に運ばれてゆく。地域の生産物の集散拠点として栄えたようです。志木は昔から豊かな良い町だったのですね。人々は信心深く、町の随所からよく見える富士山を信仰している人も多かったそうです。
八どんは、引又河岸で、こあげ人足としてまだ12歳だった去年から働いています。こあげ人足とは河岸に上った荷物を、大八車で配達して歩く仕事です。
その日もたくさん配達して、からの車を引いて上宗岡に帰る途中、ムジナが車に乗り込んできて「魚をおくれ」と言いましたが、八どんは知らん顔で、田圃の排水路の橋に差し掛かった時梶棒を上げてむじなを排水路に落としました。
家に帰っておっかさんにその話をすると、「ムジナも可哀想に」と言われて、急に心配になった八どんは翌朝橋の下を見に行きました。ムジナは怪我をして動けないでいました。八どんは毎日ムジナの餌を運んでやって仲良くなりました。そのうち山(林のこと)に置き去りになっていた子ムジナたちが母親を探し当てて、みんなで土橋の下に住むようになりました。それでこの橋はムジナ橋と呼ばれるようになったのだそうです。
保存されている、昔のムジナ橋は最近工事で移動したようですが今もどこかに保存されています。カシワバアジサイ
今朝風邪薬を飲んだら、空になったので、間も無く雨が降り出しそうな中買いに行きました。日曜日の今日は胃腸薬以外の処方薬を中止して、パブロンSを飲みます。喉が痛いからパブロンSが良いのです。ドラッグストアですが、薬の販売には薬剤師か、薬販売の担当者が声掛けするようになったのですね。飲み慣れていると言ったら説明されませんでした。

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