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平成の虚無僧一路の日記

幕末秘話「網走をドイツに売却」の秘密工作 

2011年11月22日 外部ブログ記事
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母からビデオが送られてきた。BS放送を録画したもの。

「発見!戊辰戦争〜幻の東北列藩・プロイセン連合」

会津藩のことなら何でも知っていると自負する私でも
知らなかった事実。

今回発見された史料というのは、プロイセン(現ドイツ)の
駐日公使ブラントが、本国の宰相ビスマルクに宛てた手紙。
そこには、「会津藩、庄内藩が蝦夷地を売り渡す変わりに
軍事援助を求めてきた」という内容。

アメリカ、イギリス、フランス、ロシアに遅れをとった
ドイツ(当時プロイセン)が、北海道の分捕りに食指を動か
したのだ。そこで 暗躍したのが「ヘンリー・スネル」。

スネルは、会津に赴き、藩主「松平容保」から直々に
「葵の紋入りの短刀」と「平松武兵衛」という日本名まで
貰い、日本人女性を妻に娶り、会津に屋敷までもらっていた。

そして、会津藩に ライフル銃780挺と2万ドル相当の弾薬を、
売り込んでいる。だが、この銃は、新潟港に陸揚げされた時、
官軍に差し押さえられ、分捕られてしまった。

さて、「北海道を植民地化する話し」はどうなったかというと、
この進言は本国で却下された。

プロイセンとフランスとの間で「普仏戦争」が勃発。
プロイセンの背後にはロシアが牽制していた。
ロシアは、江戸時代半ばから、度々蝦夷地に接近し、
幕府に通商を求めていた。アメリカのぺりーより先だ。
そのロシアがプロイセンに蝦夷地を取られたら、黙って
はいない。蝦夷地でロシアとプロイセンの戦争は必須だ。
「今、ロシアを刺激してはいけない」と、ビスマルクは
判断して却下したのだった。日本にとっては、まことに
幸いだった。

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