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トラのミステリな日常

1970年のこんにちは 

2024年05月03日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

1970年の大阪万博の話です。

2025年の万博のことを書いていると、なぜかふと当時の記憶がよみがえってきました。

普段は、55年も前の事など思い出しもしないのに、ふとしたことで、走馬灯のように脳裏を駆け巡ってきましたので、昨日の続きと言うことで書きたいともいます。

「そんなん、誰が興味あるねん…」と言われてしまいそうですが、60歳以上の方でしたら、大阪万博に行かれた記憶もあるかもしれないですね。ガマンしてお付き合い下さいm(_ _)m

1970年の頃は映画館に入り浸っている頃でした。
当時のロードショーの学生料金は500円です。
大阪万博の入場料は、大人(23歳以上):800円 、青年(15〜22歳):600円、 小人(4〜14歳):400円 だったので、映画よりも100円高いだけだったので、記憶に残っています。

私は、行列が出来るパビリオンには立ち寄らず、「みどり館」(写真)にずっと入っていました。
みどり館は、三角形を基本とした多面体の半球状のドームで、みどり館の最大の呼びものは「アストロラマ」でした。

「アストロラマ」とはアストロ(天体)とドラマ(劇)の合成語で、超立体的な全天全周映像だそうです。この映像と音楽に圧倒されてしまい、何度も足を運びました。

ところで…

1970年と言えば、70年安保の年ですが、20代の前半と後半で、戦後生まれか戦前生まれかが分かれる頃です。

当時の10代・20代は、反戦や平和の思いが強い世代でした。
私も、ギターを抱えて、いつもプロテストソング(反戦歌)を歌っていました。
ギターを弾いていたら、みんなが集まってきて、ボブ・ディランやジョーン・バエズを大声で歌ったものです。

大阪万博は、若者にとっても主張の場であったようで、太陽の塔の目玉部分に籠城すると言う事件もありました。

そんな中、万博の8月23日のライブコンサートで初めて歌われ、その模様がライブアルバムとして「全日本アマチュア・フォーク・シンガーズ」名義で発売されたのが「戦争を知らない子供たち」です。

私はすぐに楽譜を購入して、ギターを弾きながら歌っていましたが、「ジローズ」の歌唱によるシングル(YouTube)がヒットしたのがその翌年でした。

私の大学生の頃は、髪の毛を後ろで束ねてくくっていましたので、「戦争を知らない子供たち」の歌詞
♪若すぎるから 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら…♪に、共感していました(笑)





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私も…

トラ。さん

しっぽさん、おはようございます

大阪生まれの私でさえ、興味が無いのですから、遠方にお住まいの方が、興味が無くて当たり前だと思います。
それにしても、ボランティアの応募がたくさんあったのが驚きでした。

2024/05/04 07:44:11

大阪万博は

しっぽさん

記憶はほぼ無いのですが、母や叔母と行きましたよ。
私は1966年の12月生まれなんです。
来年大阪万博があるとは知らなかったです。
テレビも見ませんし、情報が入ってこないんです。
あまり行きたいとは思わないかな。
夏にお墓参りに関西に行きますが、たぶん京都に2泊すると思います。
USJにも興味なくて。

2024/05/04 07:18:20

関西は…

トラ。さん

楪さん、こんにちは

関西では、1960年代後半から70年代にかけて、大阪や京都を中心に広がった音楽のうねり(「関西フォーク」と呼ばれています)がありました。

自分の言葉でメッセージを伝える、アングラ・フォーク、反戦フォークがひろまっていましたが、私の中学・高校・大学時代は、それにどっぷり浸かっていました。

2024/05/03 11:52:43

世代

楪さん

トラさん、こんにちは。

万博は遠い大阪だったのであまり関心はありませんでした。
三波春夫の明るい歌声と太陽の塔くらいしか思い浮かびません。
興味はあっても、兎に角混む所が苦手なので、来年も行く気はありません。

ところで、トラさんとは一つしか違わないのに、私は学生運動とか、反戦とか意識しない学生時代でした。
夫は23年生まれですが、フォークソングどっぷりでしたね。

2024/05/03 11:32:28

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