筆さんぽ

心美しい少女とは●オジサンひとり旅((後編) 

2024年04月06日 ナビトモブログ記事
テーマ:エッセイ

ホテルで翌日の予約をすませ、ホテルから歩いて5分ほどのところにある、朽ちた邸宅跡へ行った。

邸宅跡は、旅行ガイドブックなどでは「チャオプラヤー・ウィチャエン・ハウス」と紹介されている。もともとは、ナライ王が外国の使節のために建てた迎賓館で、のちフォールコンの住居となった。

「チャオプラヤー・ウィチャエン」とは、フォールコンの官位名である。崩れかかった小さな門を入ると、目を閉じるほどまぶしい鮮やかな緑の芝生の中に、崩れかかった赤煉瓦の壁面がそびえる。屋根のない赤煉瓦の壁面には、アーチ状の石段が残っていて、ここからフォールコンと妻の「日本婦人」は出入りしていたのだろう。石段に座って、彼女のことを考えた。

「精神の美しい少女」は、結婚し、さらに夫が亡くなってからは、「貞節を守った」ことで知られている。彼女の話は、はじめに紹介した雑誌『歴史日本』に、もう少しくわしく書かれている。

フォールコンの妻は、夫の死後、新しく即位した王に言い寄られたが、これに頑として応じなかった。すると王は、彼女にでっち上げた横領罪を着せ、拷問にかけ、財産を没収。そして親戚や子女の何人かが殺されたが、幸い彼女自身はフランス士官によって助けられ、残された子とともにバンコクへ逃れた。新王は彼女の引き渡しを強制し、アユタヤに連れ戻した。

彼女は死を覚悟したが、予想に反して宮廷大膳職の女官頭を命ぜられた。彼女は宮廷に仕えたが、報酬などは一切国に返納したという。

そして雑誌ではこう結んでいる。「彼女のもつ心構へ、精神即ち日本女性の美徳のもたらしたものである」

雑誌『歴史日本』では、フォールコンの妻を日本人であると決めつけ、戦前のことで、日本人の「海外雄飛」が話題になっていたこともあるのだろう、「海外で活躍した日本人の一人」として評価する。
 
ここロッブリーに来てみれば、彼女のことがもっとわかるかも知れないと思った。
彼女の肖像なども見たかった。しかし、邸宅跡には、フォールコンの簡単な英文の説明パネルがあるだけで、彼女については一行の説明もなかった。

翌日、ナライ王の宮殿跡の「ロッブリー国立博物館」にも行ってみた。
ここにはフランス使節団が王に献上した「ルイ一四世から贈られた鏡」や王の遺品などが展示されていたが、彼女のことはおろか、フォールコンについても何もなかった。

係の人にたずねたが、フォールコンについては、邸宅跡が残っているだけだという話だった。ぼくの「フォールコンの妻」の足跡さがしは、これですっかり行き詰まってしまった。

昼間の太陽はすっかり燃えつき、ロッブリー川からやってくるさわやかな風が、火照った肌に気持ちよくなごんだ。夕方になると、旧市街のメインストリートには、日本の縁日のような、さまざまな屋台が並ぶ。そのほとんどが麺類や菓子類、あるいは夕食のための屋台だが、ようやっとウイスキーを置いてある屋台を見つけた。

ウイスキーといってもおそらく、米や砂糖黍を原料にした蒸留酒、焼酎の一種である。これを、ほのかに甘いソーダで割ると、さわやかなカクテルになる。ウイスキーの名は、「センティップ」。日本人には「メコン」がよく知られているが、タイの人は好んでこのウイスキーを飲む。ヤム・ウンセン(春雨のサラダ)を肴に気持ちのよいウイスキーを飲んでいると、あの青シャツが声をかけてきた。ホテルで客を降ろしたところだという。

ウイスキーをすすめると、仕事中だからといって断った。ぼくは、彼にペプシコーラを頼んだ。ぼくは、青シャツに、フォールコンの妻のことを聞こうとしたが、やめた。

ぼくたちは、日本で人気のある車だとか、タクシーの料金の比較だとか、日本にあるタイ料理店の話や日本の米をどう思うといった、たわいのない話で盛り上がった。

ぼくは、気持ちよく酔った。屋台の勘定をすませて、ホテルに帰ろうとすると、青シャツは、自分のサムローでホテルまで送っていくという。ぼくは、ホテルまで歩いても5分ほどだからといって断ったが、青シャツは、自分も帰り道だから、ぜひ乗っていってほしいという。

ホテルに着くと、ぼくは、青シャツをすこし強くに誘い、宮殿の城壁が見える食堂で、一緒にビールを飲んだ。サムローは、ホテルで預かってもらうことにした。

城壁は、銃眼付きのいかめしい構えだが、城壁の内側からはこの銃眼を隠すように、日本の桜に似た花が咲きこぼれていた。おそらく、バンコクでもよく見かけるインタンニの樹の花である。ほのかな薄紅の花びらの純情さは、日本の桜を思わせる。

青シャツはよく飲んだ。ぼくと同じように気持ちよく酔ってきた。ぼくは、これといった意図もなく、「近ごろ、商売はどうだい?」と、かるく聞いた。すると青シャツは話し出した。意訳もあるがこんな話だった。

タイは不景気でね、昔はそんなヤツはいなかったけど、この間、乗り逃げされたんだ。50バーツ(この当時日本円で約1500円)だけど、腹が立ってそいつを追いかけ、家に乗り込んだ。そうしたら、小学生ぐらいかな、女の子がひとり家の中で造花の内職をやっているんだよ。親父はどこだと、怒鳴ろうとしたんだけれど、言えないよな。それにその子は、いま、明日の学校の昼食代10バーツ(この当時日本円で約300円)あるから、今日はこれで、残りは明日にしてくださいと言うんだ。

それも受け取れないよな。オレにも小学生の子どもがいるからさ、かわいそうになって10バーツ置いてきたんだよ。そうしたら、翌日、彼女は、オレのところに10バーツ持ってきたんだよ。それも
受け取れないよな。だからまた、10バーツあげたんだよ。

ぼくは、それじゃあ、合計70バーツの損じゃないかと言った。すると青シャツは、城壁の桜を見ながら、彼女が気持ちよければ、オレも気持ちいいんだよ、と言ってグラスに自分で残りのビールを注いだ。
 
青シャツはあまり、酒には強くないようで、飲み進むうちに、椅子に寄り掛かって眠ってしまったようである。

ぼくは、城壁の「桜の花」を眺めながら「美しい精神」を考えていた。
フォールコンの妻は、おそらくは日本人二世か三世で、伝わる話の真偽のほどはわからないが、ぼくはもう、そんなことはどうでもよかった。

それよりも、青シャツと、けなげな少女とのたわいのない、心なごむ話に酔っていた。「美しい精神」というのは、そんな大仰なことではなく、旅の中では、どこにでも出会うことができるだなあと、ひとりごちて、城壁の「桜の花」をぼんやりと眺めていた。

桜を愛でながら、ぼくは日本人夫人のことを考えていた。そうして、眠っている青シャツにお礼の気持ちを込めて、
 森山直太朗の「さくら」を小さく歌った

さくら さくら ただ舞い落ちる
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で
(了)



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フォールコンの妻に、

北の花々さん

「精神の美しい少女」は妻となり、のちに独り身になって
複雑な運命を辿る、そして最後は宮廷の女官頭となり活躍したんですね。彼女の徳のある活躍は『歴史日本』に掲載されるとは素晴らしいですね。
異国での旅は難しい事もあったでしょうが桜を愛で歌い
旅情豊かでしたね!!

2024/04/06 10:58:37

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