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平成の虚無僧一路の日記

初心忘るべからずの真意 

2011年11月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「初心忘るべからず」とは、物事を始めた頃の
「初々しい気持、真剣な思いを忘れるな」という
ことだと思っていた。

能を大成した世阿弥の言葉であれば、頂点を極めて
も、初心の頃の思いを忘れるなという戒めの言葉と
誰もが思いこんでいる。ところが、これは全く逆だ
という。磯部欣三著『世阿弥配流』P17

「初心にかへるは能の下る所なるべし」(『花鏡』) と
書いているように、現今多用されている「初一念を
忘れるな」とは逆で、それぞれの時分の未熟さを
忘れることなく、一生が稽古であり、30代になって
20代の「初心」に後退することは許されない」。

私はこの部分をかつて読んではいたのだが、思い込み
が激しいと目にはいらなかった。見方を変えてみると、
世阿弥は、初心は若い時の始めだけでなく、20、30、
50、60代になっても、その時々の初心がある。25歳頃
一番花もあって、世間からももてはやされ有頂天になるが、
やがて花は枯れることを知り、未熟を反省して新たな芸の
高みに達する。それも初心。さらに老いてまた新たな境地
にはいる。その時も初心。「その時々に初心があることを
忘れるな」と説いているのだ。

60を過ぎて、私の芸風も変わってきた。今さら若い者と
競ってブーブーガシャガシャ尺八を吹く気はない。
新たな世界を模索し逡巡している。これが60にして知る
「初心」なのだ。

また、逆に若者が年寄りの芸風を真似ることもいかんと
世阿弥は説いている。20代は20代の初心を貫けばいいのだ。
若い者が変にわかったふり、悟った芸はあさましいと。

「パイパース」という管楽器専門誌の取材を受けたが、
そのライターの竹内氏が、最後に結んでくれた。「一路は
今が“旬”です」と。いつもその時々の花を咲かせるのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

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