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雑感日記

山本隆 逝ってしまった 

2023年10月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



★ つい先日のことだが、山本隆が入院したというニュースが流れたのだが、 すぐに元気に退院するだろうと思っていたのに、帰らぬ人となってしまった。 人生ではいろんな人との出会いがあるのだが、 私にとっては、山本隆とのお付き合いが一番長かったと思うし、 その中身も濃いかったのである。  彼がまだ20歳ぐらいの頃にカワサキとライダー契約を結んだのだが、 その翌年に山本・歳森のBSとの仮契約事件があって、 その対策に私は駆り出されて、レースの世界に入ることになったのである。 そういう意味では、今でも何かと関係のあるレースの世界に私を 導いてくれたのが山本隆なのである。 そのお陰で、私の人生は非常に豊かなものになったと思っている。★ その翌年、1966年1月26日に突然、山本隆から仲人を頼まれるのである。  私自身が結婚したばかりの32歳の頃で、とても仲人などと思ったのだが、  彼がどうしてもと言うものだから、仲人役を引き受けてしまったのである。  結婚式は2月27日に明石市の公民館で行われ何とか仲人役も無事果たせて、ホッとしたのを覚えている。  その頃は、山本隆もまだレース界にデヴューしたばかりの若手ライダーの一人だったのだが、  その後の活躍は素晴らしく、3年連続全日本チャンピオンの栄にも輝いて、  ごく最近だがMFJのモーターサイクルスポーツ殿堂入りに輝いたりしたのである。  ★カワサキでも10年以上の長きに亘って、契約ライダーとして活躍したし、 引退直後に加古川に『山本レーシング』を開店した時は 私はたまたま国内担当だったので、その開店にはいろいろと面倒をみたのである。 彼はMFJのトライアル委員長を永く務めたので、後年大阪で毎年開催されていたイベントには、私と一緒に出席したりしていたのだが、 私が退職して、NPO法人 The Good Times を立ち上げる際には理事としていろいろと手伝ってくれたりしたのである。     その頃のNPO法人の事務所での理事さんたちで、  私の理事長の後、2代目理事長を引き受けてくれて、  今年がその最後の年だったのだが、本当に残念なのである。  ★ 彼は植物に興味・関心があって、  若しレースの世界に入らなかったら、  多分、農業関連の仕事をしたと思う。  これは我が家にある無花果だが、  昨年、山本隆がその苗を届けてくれて2年目なのである。  もういなくなってしまったので、  この無花果を山本隆だと思って大事に育てたいと思っている。       ★ 今日は18時からお通夜である。  それまでの時間にこのブログを書いている。  彼は私よりちょうど10歳若くて、  今年、まだ80歳のはずである。  これは昨年11月、カワサキZ50周年記念祭の時の写真だが、  これが彼の最後の公式行事になってしまった。  みんな立派になられたカワサキの仲間たちである。      この時も元気いっぱいだが、  私はこの写真が、山本隆らしくて好きである。         山本隆さん、  本当にいろいろとありがとうございました。  安らかにお眠りください。  18時からのお通夜でお会いしましょう。   

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