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八十代万歳!(旧七十代万歳)

92歳まで、たゆまず頑張り通したつもりなんです。 

2023年10月09日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

私は14歳から働きましたけど、考えて見ると全て日向の道でした。理屈っぽくて気位が高い、奇妙な女の子、おとなしそうに見えてめっぽう気が強い。
気持ちはいつも鎧兜を身に付けていて、やたらなものは寄せ付けない。鉄壁の護り。
常に臨戦体制であった気がします。


おっとりした感じでふっくらした顔は十人並みでも、気持ちは鎧兜をぬいでいませんから超モテない娘でした。一見可愛くても口を開けば理屈をこねる。「ボランティア命」で何をやっても突っ走る。損得眼中になし。はたから見ればやり過ぎ。
一番長く勤めたのがバスの車掌で9年半。キャリアアップの望みが全くない会社。何歳になろうと車掌のまま。学歴中卒では上には上がる職種はない。(私は中学さえも出ていない)
バスをやめて自分で惣菜屋をやろうとして、1年で潰しました。
結婚を可能にするために始めた惣菜屋だったのですが、その頑張りが相手に劣等感を生んで破局。なんでもやり過ぎるんです。
頭を切り替えて、銀座地下鉄ストアで鼈甲店の店員になり、11月に入って年末迄に、前の店員の3倍を売り上げて、2ヶ月しか働かないのにボーナスもらいました。
鼈甲の知識を詰め込んで、しゃべって売りましたからね。
あの店が続いていたら良かったのに銀座の地下鉄ストアは工事のため閉鎖。私は保険のセールスに。そのおかげで厚生年金を積むことが出来て、今の暮らしが支えられました。
結婚後も働き続けましたが、50代で夫婦同時に失業。私はビルクリーニングの職業訓練校へ。以後15年間お掃除の仕事を続け68歳で辞めました。


70歳で通信制中学を見つけて入学。現在の神田一橋中学校。当時は一橋中学通信教育課程。楽しかったです!皆勤賞をもらって卒業しました。
毎月2回のスクーリングングに、1日だけ膝の激痛で這うようにしてゆき、帰りの荷物は宅配便で家に送り、やっとの思いで帰ったことが有りました。


その後です。ブログを始めたり、76歳から昔語りのボランティアにのめり込んだのは。
それが今のラジオの仕事に繋がっています。
「いつも一生懸命働きました??」と胸を張ってもいいと思います。


92歳の難病患者は、膝が特に痛む日に、ベッドに潜ったまま、自分を奮い立たせるために過去の戦いを思い返して見ました。笑!


これでようやく食欲が出てきました。効果ありましたよ。??

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