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龍造寺隆信(九州の戦国大名) 

2023年08月04日 外部ブログ記事
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?龍造寺隆信(戦国大名) ☆龍造寺隆信は、大友宗麟を耳川の戦いで破り肥前統一した ☆急成長するもカリスマ頼みの支配で、死後は領土を奪われ失墜した?龍造寺隆信のプロフィール ☆龍造寺隆信は、戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した *「九州三強の一人」や「肥前の熊」などの異名が有名 *龍造寺一門のその子孫や後裔は現在でも点在する (鍋島直茂は隆信の義弟) *仏門にいた時期は中納言円月坊を称していたが、還俗後は隆信と改めた ☆「五州二島の太守」の称号を自らは好んで用いた *少弐氏を下剋上で倒し大友氏を破った *島津氏と並ぶ勢力を築き上げた ☆九州三強の一人として称されたが *島津・有馬氏の連合軍との戦いで敗死した?島津・有馬軍に挟撃され大敗北 ☆龍造寺隆信の急成長のパワーはすさまじかった *それをどこまで定着させることができるかは、大将の手腕次第 *頼朝はみごとにパワーを持続させ、鎌倉幕府の創設した *景虎は小田原攻めに失敗して諸将に見限られた ☆龍造寺氏の場合も、確実な領国といえるのは肥前だけ *他は少しの失敗ですぐに瓦解するような、支配体制であった *実際に隆信の卓越は、10年続かなかった ☆キリシタン大名として有名な有馬晴信が龍造寺勢力から離反する *隆信は晴信を討伐すべく軍勢を差し向けました *島津氏の支援もあり、有馬攻めは成果を得られなかった ☆隆信は自ら大軍を率いて出陣し島津・有馬の連合軍と戦う *大軍の龍造寺軍は島津義久に大敗する?肥前国は鍋島直茂に奪われた ☆龍造寺隆信は、島津勢の川上忠堅に討ち取られた ☆龍造寺隆信の右腕鍋島直茂は、隆信の死を知り自害しようとした *周囲に止められ柳川に帰還した ☆龍造寺の優越は、張り子の虎的なところがあった *隆信がいなくなると、あっという間に勢力は失墜した *すべては隆信という1人のカリスマ頼みだった ☆本拠の肥前国ですら義弟である鍋島直茂によって奪われた *龍造寺氏は「化け猫騒動」だけを残している *肥前国主の座を鍋島氏に明け渡した                     (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『THEMIS7月号』龍造寺隆信(戦国大名)(ネットより画像引用)

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