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雑感日記
カワサキ単車の昔話 4 新しく出来た広告宣伝課
2023年06月26日
テーマ:テーマ無し
★日本能率協会は単車事業を再建する条件の一つとして「広告宣伝課を創ること」を条件にしたのだが、その具体的な予算として「1億2000万円」が3年間も続いたのである。 当時のサラリーマンの年収が50万円の時代だったから1億2000万円は現在なら10億円を悠に超す膨大な予算であったことは間違いない。 そんな広告宣伝課の担当が当然のようにまだ係長にもなっていない私に科せられたのである。 それも掛長・課長もなしに直接の上司はその後もずっと単車事業でご縁のあった明石高校の先輩でもある苧野豊秋次長だったのである。 私は入社以来、誰もやったことのない「新しいこと」ばかりをやって来たので「古谷に任せば何とかするだろう」と周囲の方は思ったに違いないのである。★昭和39年(1964)1月から広告宣伝を担当するようになって、私の会社での仕事の内容も『一変した』と言っていい。それまではカワサキの広告宣伝はカワサキ自販で担当していたのだが、当然広告宣伝業務をカワサキ自販から引き継ぐことになったのである。当時のカワサキ自販では広告宣伝業務は、総務課長・兼広告宣伝課長の小野田滋郎さんが担当されていいた。小野田滋郎さんと具体的な仕事を一緒にしたのはこの時が初めてだったが、小野田さんの凄さ、その仕事ぶりにビックリしてしまったのである。世の中にはこんなに優秀というか仕事ができる人がいるのである。現役時代いろんな方に出会ったが「この人にはとても敵わない」と思ったのは小野田滋郎さんだけかも知れない。小野田滋郎さんはあのフィリッピンから戻られた小野田寛郎さんの弟さんなのである。 この写真の左側の方で、陸軍士官学校出身の秀才なのである。 ★ 前回、カワサキのレースのスタートは、カワサキ125B8での青野ヶ原のモトクロスと記述したのだが、 実はカワサキ125B7時代に、カワサキ自販で小野田さんはライダー三吉一行でMCFAJの全日本にも出場させており、 日本で初めての鈴鹿サーキットのロードレースでは250は三橋実、350は片山義美がいずれもヤマハで優勝しているのだが、 その三橋実をヤマハから引っこ抜いて厚木にカワサキコンバットを創らせたも小野田滋郎さんなので、 カワサキの最初のレースをやったのはカワサキ自販の小野田滋郎さんと言うのが正しいのかも知れない。カワサキの初めての契約ライダー5人のうちカワサキコンバットの三橋実以下3人は、カワサキ自販から引き継いだのである。 ★川崎航空機工業に広告宣伝課が出来て、 当然カワサキ自販の広告宣伝課を引き継ぐことになったのだが、 その当初、何も解らぬ私を援けて頂いたのは小野田滋郎さんで、 カワサキに広告宣伝課が出来て1億を超す予算があると聞きつけて、電通・博報堂・大広・毎日広告など多くの広告代理店が売り込みに来たのだが、向うのペースのままではどうしようもないので、『代理店選定基準』として、各社に共通の質問として『15項目の質問』を創ったのである。その殆どは小野田さん主導で創られたのだが、当方の質問が厳しくて「とても素人とは思えないポイントを捉えた質問」と広告代理店に感心されたりもしたのである。特に「貴社の創造能力を図示・説明してください」と言う設問には本職の広告代理店が、ちょっと困ったようで、小野田さん曰く「口でいろいろ言えても、ホントに解っていないと図示できない」と仰るのである。確かにその通りで、物事を簡単に図示することはなかなかムツカシイのだが、小野田さんは陸士仕込みの「戦略・戦術・戦闘論」などホントに上手く『図示される』のにはびっくりしたのである。そんな小野田滋郎さんだったが、広告宣伝が川崎航空機に移り、カワサキ自販も川崎航空機に吸収ということになって、この年の3月末で辞められたのだが、個人的には私はその後も長くお付き合いがあったのである。★ こんなことで始まった「広告宣伝課」の新しい職務だったが、 この1年目は折角頂いた予算1億2000万円の内、7000万円しか使うことが出来なかったのだが、これは「広告宣伝」と言えば「テレビ・新聞」なのだが、その「テレビ・新聞」が使えなかったからなのである。その理由は、当時は「実用車のカワサキ」で東京・関西などの大都会では全く売れていなかったので、「東京・大阪などの大都市は広告は要らない」と営業サイドは言うので、新聞もテレビも使えないのである。この1年目の実績に本社の専務から「お前ら金を渡してもよう使わん」と怒られたものだから、2年目は何とか予算は使い果たそうと新聞は「朝日・毎日・読売は抜き」で全国40社以上もある地方紙に「全頁広告」を打ったのだが、これは広告業界では「前代未聞」で「カワサキはとんでもないことをする」と広告業界で評判になったのである。これは中央紙に広告するよりは費用面では「めちゃ多く掛かる」のだが、こんなことをしたのは、この年のカワサキだけだろう。更にテレビも関西地区だけだったが、当時売り出したばかりの藤田まことを使って 「かあちゃん わても さんせい きめた かわさき」と喋らした15秒のコマーシャルなど作ったので、 2年目は広告宣伝予算はちゃんと使い切ったのである。 因みに「藤田まこと」さん、もう亡くなってしまわれたが、 私と同じ1933年生まれなのである。★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです。? ?
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