にいたかやま

文学散歩「場所」まずはめでたし 

2023年06月01日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

三鷹下連雀・西荻窪 1951〜1957 まずはめでたし
「三鷹市下連雀二百六十九下田シュン方」で、其れまでの縁の人々に、転居通知でも出されましたのか、離れの晴美宅は千客万来であった。
丹羽文雄の文学者同人である小田仁次郎・河野多恵子・・・
訪問客でも感覚的に意気投合すれば、男女の仲になり、女性同士であれば勝間和代様の世界が待っている。
小田は湘南の海辺にある妻子待つ彼の家と晴美の下宿をこまめに勤勉に往復するようになっていた。
これって、一夫一婦制度の概念・範疇から観ると、妻問い婚?不倫?
大家の寡婦下田シュンと晴美の間の空気感に異変が生じ、いたたまれなくなった晴美は五十三年の暮れ、三鷹駅前通りの五十嵐ラーメン屋の二階に転居。
晴美の物理的な新居の紹介文を読むと、家屋に傾斜があり、二階に上がる階段はギシギシ音を立て、物干し場は大家と共同で、プライバシー無し。
それでも不倫の恋に夢遊病者のようになった晴美は、「仁が気兼ねなく通えるように成った」と言ってみせる。
寂聴様によれば、五十嵐様は晴美とアインシュタインの相対性理論について、議論したがったのですって。
ヘーゲルの弁証法は如何ですか?
小生は「場所」の132ページを拝読してて失笑を禁じえませんでした。
「ハンサムの息子を映画俳優にしたいから、顔の広い丹羽文雄に頼んでくれないかと言われたりしたが、私が生返事しかしないのに機嫌を生じたのか、突然出て行ってくれと言われた。うちの息子も中学生でそろそろ色気づいてるしね。男を通わせている女っていうのは、刺激がありすぎるのよ。子供の教育に悪いからね」
斯くて、石もて追われるごとく三鷹を去った晴美の次の下宿。
「杉並区西荻窪二−七二小俣きん方」
小俣きん女は不倫男の小田仁次郎と相性抜群で、晴美より彼の訪問を待ち望んだとか。
晴美のほうも処女作「痛い靴」と「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」等の執筆・発表で女流作家として産声を上げたのでした。
まずは、めでたし、めでたし。

寂聴様へ追伸
2023 5 30日に三鷹の連雀通りに文学散歩に行って来ました。
謹んで、直近の風景を御報告申し上げます。
ただいま拡張道路工事中です。
寂聴フアンにとっては寂聴通りみたいなものですネ。
中央通りから右へ、二階建ての民家が二世帯・床屋・歯医者・郵便局・禅林寺・八幡神社。
左の民家の表札を窺がうと「下田」と掲げられてました。
郵便受けはガムテープで封がしてあり、明かりのついてる気配もなく、幸子様どうされたのでしょうか。
通りの反対側は欅の大木・コミュニテイセンター・スーパー。
毎日のように墓参された禅林寺の津島家のお墓の墓碑に、令和二年の四月二十日に他界された長女園子様の銘が刻まれてました。



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