にいたかやま

文学散歩「場所」チャペルの塔 

2023年05月18日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

1940〜1943 西荻窪 チャペルの塔

昨年7月の26日、東京帝国ホテルでの寂聴様とのお別れ会
加藤登紀子様が次のように述べられた。
私にとっては、「美は乱調にあり」・「諧調は偽りなり」がバイブルです。
小生は彼女の著者瀬戸内と作品に対する、只ならぬ敬意と賛辞を感じた。

小生は「場所」を小脇に抱えて、文学散歩をする事にした。
17歳の晴美こと「はーちゃん」は、徳島女学校で大学の募集広告を目にした。
丸・四画・菱形でデザインされた白いチャペルの塔。
はーちゃんは「ビビット雷に打たれた気がした」
夢見る乙女に取っては、これが擬人化されて、白馬の王子様にも成る。

「場所」163ページ
 西荻窪の駅へ初めて降り立ったのは、1940年1月元日で、私は17歳だった。
 駅前にはバスが止まっていたが、歩いても15分か20分の距離と聞いたので、歩くことにした。
 道の突き当りを右に曲ると、もう行手に女子大の塀が見えてきた。門は更に道を左へ曲がってすぐのところにあった。
 鉄柵のようなさりげない門は、半ば開いていて、誘い込むような懐かしい感じがした。門番小屋にも人影はない。
 人っ子ひとりいないキャンパスを歩き廻るうち、何が何でもこの学校に入りたいと決意した。

「場所」は寂聴の出家するまでを描いた私小説である。彼女の誕生日は二つある.
1922年 5月15日・ 1973年 11月 14日である。
アインシュタインの時空の空間のほうにベクトルを置いた力作である。
 丸本恭子様・南雅子様・後に福田恒存夫人となられる敦江様・(大松富美子様)
西荻窪の柵に囲まれたキャンパス内で、白いチャペルの塔の下に瀬戸内晴美と青春を共に過ごされた聖女たちである。

小生は2000年頃寂聴様が追体験された「場所」を、さらに四半世紀近く過ぎた今年五月に文学散歩させて頂きました。
西荻窪で下車
北口から左へ延びる伏見通りを進み、行き止まりを右に折れると女子大通りに、左すぐにチャペルの塔が、幻想的に白昼夢のごとく浮かんでいました。
正面ゲート場所に二度お邪魔しましたが、三島由紀夫の盾の会のようなシャレタ制服の衛兵が三名、二度目は女性の衛兵が加わって五名位でガードされてました。
それから淑女達がそうされたように、善福寺公園で憩いのひと時を過ごしました。




 



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