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雑感日記

天皇誕生日   雑感 

2023年02月25日 外部ブログ記事
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★2月23日は「何の祝日かな」と思ったら天皇誕生日だった。 長く生きたものだから3人の天皇陛下の御代に生きている。     私のコドモの頃は「天長節」(4月29日)と呼ばれていて、 明治天皇の誕生日の「明治節」(11月3日)と並んで4大節の一つだった。 天皇誕生日と呼ばれだしたのは昭和24年からだというから戦後のことなのである。  天皇誕生日は4月29日だと思っていたら、 明仁・現上皇の誕生日の12月23日に変わり、 更に現天皇の誕生日の2月23日に変わったのである。★ 天皇陛下で想い出に残っているのはやはり昭和天皇である。 昭和20年8月15日の終戦の日の玉音放送は、まだ中学1年生だったが、 炎天下のグランドで直立不動で聞いたのだが、よく聞こえなかったが、 戦争に負けたということだけは解った。   当時は「天皇陛下」という言葉を聞くときには、常に姿勢を正すという時代で、 そんなことは小学生時代から躾けられていた。 そんな天皇陛下だが戦後の神戸行幸の時には、 昨日も触れたが神戸にホテルがなくて、神戸一中の教室の一つを改造して泊まられたのだが、 その時に私のクラスは「天覧授業」を経験した。 「天覧授業」は教室の後ろからご覧になるのではなくて、 教室の前のほうに立たれたので、ホントに直ぐ近くでお姿を見ることが出来た。 中学2年生の頃の話である。   真偽のほどはよく解らぬが、 その後、聞いた話ではGHQが何故天皇が神戸一中に泊まられたのか調べたら、 神戸一中は英才教育の学校だということで その1年後には男女共学・さらには学区制という新しい制度が敷かれたというのである。 私がいつも「勉強したのは中学2年生まで」と書くのは 中学3年生の時、男女共学になったら、授業内容が1年ほど逆戻りしたし、 高校に入るときに学区制になって明石高校に転校したら、 ここでもまた1年ほど授業内容が逆戻りして、ホントに勉強する必要がなかったのである。★それは兎も角、明治天皇・昭和天皇もその後の天皇陛下も「天皇誕生日」は祝日になっているのに、 大正天皇の場合はなぜ「天皇誕生日がない」のか?と不思議に思っていたのだが、その理由がやっと何となく解ったのである。 大正天皇の誕生日は8月31日で、大正時代には天長節としてあったようだが、 盛夏のころに正装で集まるのはやめようということになり、8月31日はお誕生日としてお祝いし、10月31日を「お誕生日祝いする会の日」としてお祝いすることになったのだということで、大正年間は「天長節」に関する休日が2回あったというのである。 当の陛下が8月には日光の旧御用邸?にいかれていて、皇居におられないのだから、 祝賀会のやりようがないということだったようである。★ご生前は、昭和天皇とか平成天皇とは呼ばないそうだが、 明仁・現上皇は1933年生まれなので、 私と同い年なので、今年の年末には90歳におなりになる。 「いつまでもお元気で」と申し上げたい。 天皇誕生日にいろいろと想った。★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。★NPO ?The Good Times のホ―ムページです。

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