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鎌倉腰越地区寺社散策(2023年1月5日) 

2023年01月06日 外部ブログ記事
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 新年最初の散策の場所として鎌倉腰越地区の寺社に出かけた。行程は、江ノ電江の島駅から、龍口寺とその関連の寺(片瀬龍口寺輪番ハヵ寺)三か所、鎌倉に入ることを禁じられた義経が滞在した寺、鎌倉攻めで新田義貞が戦勝祈願した神社などを巡った後、江ノ電腰越駅まで。<<瀧口寺>> 江の島駅から出た電車が一般道を走り始める場所に、山門のある日蓮宗のお寺で、今回訪れた中では一番大きなお寺。階段を上がると本堂の裏右手に明治時代創建の五重塔が見えた。本堂の左の階段を登った先に純白の仏舎利塔。この辺りの樹の間から江の島、相模湾が望めた。<<法源寺>> 瀧口寺横の坂道を登った先、左手に”法源寺・ぼたもち寺”の表示がある石塔。私道の坂を登りきったところに広場と本堂等の建物。山門等も見当たらないあっさりとした感じで、「竜の口処刑場」跡に建つお寺で、瀧口寺を支え住職を務める「片瀬龍口寺輪番ハヵ寺」の一つ。鎌倉駅近くの「常栄寺」とともに鎌倉に2つある「ぼたもち寺」の一つで、刑場に引かれる日蓮に”ぼたもち”を差し出した「桟敷(さじき)の尼」所縁の寺。参内者に愛想のないお寺。<<宝善院>> 奈良時代八世紀建立の古刹で十一面観音像を祀る寺。五か所の撞座(つきざ:撞木(しゅもく:釣鐘を突く棒)が当る場所)を持った珍しい梵鐘があったが、戦時中金属類回収令で供出し現存しない。<<本龍寺>><<本成寺>> 両寺とも、龍口寺の住職を務める片瀬龍口寺輪番ハヵ寺の二か所。<<満福寺>> 開山は行基との説もある古刹で、頼朝から鎌倉入りを禁じられた義経一行が逗留した寺。頼朝の怒りを解こうと思いを託した所謂「腰越状」を書いた場所で、弁慶筆と伝えられている下書きが残されているという。今回の散策では、殆ど参内者には合わなかったが、この場所で、この時期としては珍しく三人の外国人と出会った。<<小動(こゆるぎ)神社>> 満福寺から国道134号線を渡った小高い丘の上にある小動神社。頼朝に鎌倉入りを禁じられた義経の家来弁慶が鎌倉を眺めながら地団太を踏むと地面が小動ぎしたので小動と呼ばれるようになったとのこと。又、新田義貞が鎌倉攻めの折に戦勝祈願した神社。海側には、幕末に相模湾を監視防備するための見張り所(「腰越八王子山遠見番所」)が置かれた場所で、江の島・相模湾の眺望が良かった。<<浄泉寺>> 元々、小動神社の別当寺院で、九世紀初頭、空海によって開かれたと伝えられる寺。 これでこの日の散策予定は終了し、江ノ電が一般道から外れる腰越駅から帰途へ着いた。

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