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2022年11月16日 外部ブログ記事
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第2回:「立正安国論」提出[道しるべ]一念の変革相次ぐ自然災害や深刻な飢饉、疫病の流行。塗炭の苦しみにあえぐ民衆を救わんと、日蓮大聖人が著されたのが「立正安国論」です。文応元年(1260年)7月16日、大聖人は本書を、実質的な最高権力者・北条時頼に提出されました。本書で大聖人は、不幸の根本原因は人々が正法に背き、悪法を信じていることにあると述べ、災厄の元凶として念仏思想を鋭く破折。速やかに妙法に帰依するように促されています。その当時、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がまん延し、人々から生きる意欲を奪い去っていました。そうした誤った思想を打破して、人々の生きる力を呼び覚ますべく、大聖人は、妙法弘通の大闘争に挑まれたのです。池田先生はつづっています。="" 「大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである」大聖人は「立正安国論」の結びで「汝早く信仰の寸心を改めて」(御書32ページ)と仰せです。自身の「心」、信仰の「一念」が変われば、いかなる状況も必ず変えていくことができる―日蓮仏法は“一人の人間の無限の可能性”を示す、希望の哲理なのです。[地図・略年表] 正嘉元年(1257年)8月(36歳)
 鎌倉で大地震
 文応元年(1260年)7月16日(39歳)
 「立正安国論」を北条時頼に提出
 その後、松葉ケ谷の法難
 弘長元年(1261年)5月12日(40歳)
 伊豆流罪
 文永元年(1264年)11月11日(43歳)
 小松原の法難
 (聖寿は数え年)帰依するように促されています。その当時、現世の安穏を諦め、死後の安楽を願う念仏思想がまん延し、人々から生きる意欲を奪い去っていました。そうした誤った思想を打破して、人々の生きる力を呼び覚ますべく、大聖人は、妙法弘通の大闘争に挑まれたのです。池田先生はつづっています。="" 「大聖人は、念仏破折をもって、あきらめ、現実逃避、無気力といった、人間の生命に内在し、結果的に人を不幸にしていく“弱さ”の根を絶とうとされたのである」大聖人は「立正安国論」の結びで「汝早く信仰の寸心を改めて」(御書32ページ)と仰せです。自身の「心」、信仰の「一念」が変われば、いかなる状況も必ず変えていくことができる―日蓮仏法は“一人の人間の無限の可能性”を示す、希望の哲理なのです。[地図・略年表]

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