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雑感日記

 明石 & 三木 

2022年10月19日 外部ブログ記事
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★ 「明石市上ノ丸町2丁目720番地」は私の生まれ故郷だし、  今も本籍になっているはずだが、  今は分筆されてしまってこんな番地はないと思う。  そんな「明石市」が今何かと人気なようである。  戻りたい街ランキングでは何と「全国1位」が明石市なのである。     何はともあれ「全国1位」は凄いなと思う。      「兵庫県で最も注目されている街」ランキングでも、   神戸市を抑えて「1位」なのである。        明石市のナニガそんなにいいのだろう?★ 私は明石で生まれ、小学校時代はソウルで育ったが。  夏・冬の休みには毎年明石に帰省していたので、  戦前の明石市もよく知ってるし  戦後引き揚げてきてからは、ずっと明石に住み高校・大学に通い、  就職も川崎航空機の明石工場だったから、  昔の明石も、戦後の明石もよく知っている。  私自身は今の明石よりは戦前・戦後の城下町の風情が色濃く残っていた  明石のほうが好きである。  戦前の明石公園は、空襲で焼けてしまって今はないが  こんな高い松の樹がいっぱいだった。   このすぐ横の公園内にある明石球場には、 戦前も戦後も春には巨人軍がキャンプを張った。 「長嶋・王」の入団時ぐらいまでそれは続いていた。 その「明石球場」で高校時代は練習をしていたし、 甲子園にも出場したりしたのである。 実家はそんな明石公園の外堀のすぐ横にあって、 この池では高校生あたりまで「鮒釣り」をしたものである。 庭に隣接していて、庭から降りたら堀だった。   高校時代に堀を埋めて競輪場が出来る頃までは、 空襲で焼けてしまっていたが、 土地だけはそのまま残っていたのだが、 戦後父が病気で長く寝たので、 伯父が土地を売って1本2000円のマイシンの注射液を買ってくれたのだが、 土地一坪が2000円の時代で、殆ど土地は売りつくしてしまったのである。 今の明石は近代的な街に様変わりして 昔の風情は残っていない。★ 私は昭和48年(1973)ごろに三木に土地を買って移り住んだので、 今ではもう50年近くになり、 生涯最も長く住んだ町が三木になった。 「戻りたい街」のトップが明石市だが、 実のところ「三木」は非常に気に入っていて、 「明石に戻ろう」とは思わなくなってしまった。 「住みやすいトカイナカ」では大阪圏で2位に位置している。 ここでは明石より上位にいて、 神戸市に隣接していて、ほんとに住みやすいトカイナカなのである。   明石にも立派な明石公園があるが、  三木には同じような広さの公園が幾つもあるし  それぞれ変化に富んでいる。  甲乙つけるつもりはないのだが、  どちらかというと、今は三木の公園群のほうが気に入っているのである。  生まれ故郷の明石もいいが、  「住めば都」で三木もいいよということにしておこう。  兎に角、一生三木で過ごしたのちは、  明石の「長寿院」に里帰りすることになるのだろう。  ★50万人フォロワーのいるツイッターです。?★雑感日記のEnglish Version です。?

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