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笹川良一と統一教会のタブー 韓国情報機関、世界反共連盟がリンクする謎のネットワーク 

2022年07月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



書棚に宝島社発行「謀略の昭和裏面史 特務機関&右翼人脈と戦後の未解決事件!」に「笹川良一と統一教会のタブー 韓国情報機関、世界反共連盟がリンクする謎のネットワーク」があったのでお知らせする。
三階に「日本傷痍軍人会」(2013年11月に解散)の事務所があった「戦傷病者史料館・しょうけい館」の調べによると、笹川良一は「飛行場で右上腕骨骨折」となっている。
ウイキペディア「笹川良一」によれば「飛行機乗りを志し、大日本帝国陸軍の岐阜県各務原飛行第二連隊に入隊する。」となっているので、ここで負傷したので「傷痍軍人」となっていると思われる。
新宿平和委員会が2000年7月7日に発刊した「葵から菊へ 軍都新宿の歴史を訪ねる」に、日本傷痍軍人会事務所の「にっしょう会館」について記述がある。新宿区市谷本村町にあった日本傷痍軍人会事務所は、新宿区市谷砂土原町に移転し、更に九段下の「戦傷病者史料館・しょうけい館」に移転した。

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「笹川良一」と「統一教会」にタブー韓国情報機関、世界反共連盟がリンクする謎のネットフーク
 昭和期のマスコミにはいくつかの夕ブーがあったが、その代表的なもののひとつが大物右翼・笹川良一と、彼と関係の深い新興宗教教団・統一教会、それにその別働隊だった右翼団体.国際勝共連合だった。 それらがタブー視されていたのは、ひとえにそのコワモテなイメ-ジによるものである。実際のところ、彼らをタブー視することはかなり長い期間続いていて、統一教会が左翼系以外の一般マスコミで平気で扱われるようになつたのは、平成4年にソウルで行なわれた合同結婚式に有名夕レントが出席し、同団体のコワモテな背景を知らないワイドショーが、メディアスクラムのパワ-でいつせいに統一教会ネタを報じるようになつてからだった。? また、笹川良一に関しては、平成6年の『文藝春秋』で、ジャーナリストの加賀孝英が「笹川一族の崩壊」と題したレポ-卜を発表したあたりから、徐々に封印が解かれたといっていいだろう。??? 日本の首領=笹川良一? その独特の威圧感でマスコミを黙らせ、「日本の首領」とまで評された笹川良一は、明治32年、大阪で生まれている。大正14年に故郷の大阪府豊川村(現・ 箕面市)村議会議員に当選して政治活動を始め、昭和6年に藤吉男らと右翼政党「国粋大衆党」を創設した。右翼大陸浪人や軍人らと交流し、自らも大陸などで活動する一方、戦時中は衆議院議員としても活躍している。 終戦後はA級戦犯容疑者として巣鴨プリズンに収監されるが、不起訴となって出所。戦後は競艇事業に尽力して昭和30年に全国モーターボート競走会連合会会長、昭和37年に日本船舶振興会(現・日本財団)会長に就任した。 スポンサー的立場となり、政財界に大きな影響力を行使した。とくに親交のあっ た政治家としては、岸信介、西尾末広、賀屋興宣、佐藤栄作、福田赳夫らがいる。 平成7年、死去。享年96歳。昭和の右翼人ではもっとも財力と権力を掴んだ人物といっていいだろう。
? 統一教会の庇誰者だった笹川 戦後の笹川良一を語るうえで、統一教会の庇護者という面を外すわけにはいか なぃ。 統一教会はもともと韓国人牧師・文鮮明が昭和29年に創始した新興宗教だが、昭和36年、韓国で朴正熙がクーデターによって政権を奪取した直後から、情報機関「韓国中央情報部」(KCIA)と協力関係を結び、その庇護を受けて勢力を急速に拡大した。日本でいえば「生長の家」と似たような立場の反共系宗教教団である。 ところで、戦後まもない頃からソ連共産党は、アジアでの共産主義勢力拡大を狙ってさまざまな工作活動をしていたが、 それに対抗すべく、アメリカでも反共団体やCIAが中心となって、アジアでの反共ネットワークの構築を画策していた。 そのトライアングルとなったのが日韓台の3力国で、昭和29年にはCIAの肝煎りで「アジア人民反共連盟」(APACL)が結成されていたが、昭和40年に日韓条約が締結されると、その院外団的勢力として、各国の民間右翼団体による ネットワークの結成が模索された。そこで中心的な役割を果たしたのが、韓国では統一教会、日本では笹川良一だった。 日本共産党中央委員会が出版した『韓国の謀略機関〜国際勝共連合=統一協会』によると、統一教会はKCIAと手を結んだ直後から、崔翅翼(日本名・西川勝)という幹部を日本に送り込み、いわゆる「原理運動」を開始した。このとき崔に協力したのが笹川だったが、そこにはおそらくKCIAと米CIA、あるいはアメリカの反共団体の協力要請があつたものと推測される。
? 世界反共連盟と国際勝共連合? いずれにせよ笹川は、その後、昭和38年に統一教会の顧問となり、日本での布教活動を強力に支援した。統一教会は、笹川の影響力によって政財官界、とくに自民党と警察組織に浸透したといわれる。? 一方、統一教会は各大学に「原理研究会」を組織して若者を勧誘した。布教初期の昭和37年に立正佼成会のある幹部が統一教会に合流し、2年後の昭和39年に会長に就任する。長年にわたって統一教会日本支部に君臨した久保木修巳.前会長である。そうしたなか、昭和41年になると、統一教会がホストを務めて「世界反共連盟(WACL)が韓国で結成された。 世界中から反共団体が参加したが、それらは事実上、CIAと米反共団体が組織していたネットワ-クだった。 ちなみに、昭和40年代半ばから昭和60年頃までの間、WACLの会長を務めたのが、バリバリの極右軍人として有名なジョン・シングローブ米退役少将である。シングローブは、世界中の反共ゲリラ支援、反共テロ、反共クーデターの背後で暗躍したといわれる伝説的人物である(シングローブ少将の反共コネクションも「陰謀論一の定番)。 ところで、KCIAの公認で、統一教会が韓国でその系列政治団体「国際勝共連合」を創設したのは、昭和43年1月のことだった。統一教会別働組織=国 際勝共連合はただちに日本での組織化を図るが、その後ろ盾となったのが、またもや笹川良一と、その盟友にして日本の韓国ロビ-のトップに立つ岸信介だった。 さらに笹川の主導で、日本でも、久保木修巳を会長とする国際勝共連合が活動を始める。笹川自身はその名誉会長となった。これは事実上、統一教会の日本支部と笹川の支配下にあった右翼勢力の合体だった。 国際勝共連合の実態は統一教会そのものだが、それと同時に、日本の右翼団体のなかでもっとも国際的なネットワークを持ち、かつもっとも活動的な団体のひとつとして、その地位を不動のものとした。
? 自民党に浸透した統一教会 昭和53年に米下院国際関係委員会国際機構小委員会(フレ-ザー委員会)が、ワシントンの韓国ロビー問題に関する調査結果を発表したが、そのレポートのな かで、統一教会=国際勝共連合とKCIAの深い関係が暴露された。 それを受けて、日本でも日本共産党が独自に調査した統一教会=国際勝共連合 系政治家のリストを公表した。当時の福田赳夫首相をはじめ、現職閣僚から16人、そのほかの自民党議員155人、新自由クラブ議員4人、民社党議員5人という膨大な人数に及ぶリストだった。 もっともその大多数は、国際勝共連合とそれほど深い関係にあるわけではなかったようだ。よく指摘されているのは、「タダでよく働く秘書を派遣してもらった」とか、「いくばくかの献金をもらった」とかいったことだが、当時の議員の間ではむしろ日常的なことであり、皆が皆、深い考えのもとに交流していたわけではなかったものと思われる。? やはりこうした人脈との関係が深いのは、韓国ロビーに近いか、あるいは反共右翼色の強い人脈ということになる。政治家では岸信介、福田赳夫、椎名悦三郎、中曽根康弘といった面々であり、財界人あるいは右翼や学者といった民間人では、これらの政治家の周辺にいる面々ということになる。? いずれにせよ、統一教会の勢力が弱まるのは、昭和61年のレィキヤビク会談(レーガン=ゴルバチョフ会談)をきっかけに世界の冷戦構造が急速に崩れはじめ、共産主義VS反共右翼という対立軸が、もはや時代遅れになった頃からと言える。? そうした時代背景のもとで、教団のサバイバルという問題に直面した統一教会は、徐々に霊感商法をエスカレー卜させて世間の批判を呼び、さらに芸能人を広告塔にして墓穴を掘った。? 一方、平成3年には文鮮明が平壌を電撃訪問して金日成と会談し、世界を驚かせた。その後も北朝鮮との関係をますます強化し、むしろ金正日政権の延命に手を貸している。もしも笹川良一が生きていたら、それを見て何と言ぅだろうか。
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(了)
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