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平成の虚無僧一路の日記
狂言『楽阿弥』は江戸時代の作か?
2022年06月14日
テーマ:テーマ無し
狂言に『楽阿弥』というのがあります。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「旅の僧が伊勢参りの途中、伊勢の別保村にさしかかると、何本もの尺八がぶら下がっている松の木があった。村人にその由来を尋ねると、その昔、楽阿弥という 尺八狂いの男がいて、その霊を弔う松だという。ならばと、旅の僧は袖の下より尺八を取り出して「自分も一曲手向けよう」と短尺八を吹く。すると、それに合わせるかのように低い音が聞こえてくる。それは楽阿弥の亡霊だった。しばし、短尺八と大尺八とで合わせ吹く「宇治の朗庵主の序(=偈)にも『両頭を切断してより後、尺八寸中古今に通ず』とあるように、こうして幽明境を異にする二人が心を通わせられるのも尺八の縁かと言って消えようとする。そこで旅の僧が、せめて最期を語らせたまえというと。「さらば語りなん。楽阿弥は、時と所をかまわず門付けして尺八を吹くものだから、村人に嫌われて布施ももらえない。またそれを腹立ちまみれにあちこち行って悪態をつくものだから、尺八のように、縄でしばられ、矯められ、炙られ、のこぎりでひかれ、殺されてしまった。冥土に行っても尺八への妄執を断ち切れずにいる。この苦しみを救ってくれ」と言い残して消えた。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・メ狂言だが、楽阿弥の霊が現れて、旅の僧に最期の様を語るという「夢幻能」の形式になっています。「1561年に京都の三好邸で演じられた」との記録があり、狂言の中で最も古く「南北朝頃の作か」と言われています。しかし、いろいろ疑問点があります。「われらも持ちたる尺八を、袖の下より取り出だし」は、1518年成立の『閑吟集』にある句です。 「宇治の朗庵主の頌にも『手づから両頭を切断してより後、尺八寸中古今に通ず』」という台詞。これは「文明丁酉(1477年)祥啓筆」と記載のある『朗庵像』に書かれている頌=偈です。この『朗庵像』を 見知っていて作られたものと思われます。ところが、1511年頃編纂された『体源抄』に「一休の作」として載っている偈では、「両頭を切断してより後、三千里外知音絶ゆ」とあって「尺八寸中古今に通ず」はありません。「尺八寸中」が「1尺8寸」と「尺八」を掛けたもので「尺八が1尺8寸」ということを表しているとすると、江戸時代に加補されたのではないかという説が浮上してきます。となると「文明丁酉(1477)年祥啓筆」という記載も怪しくなってくるのです。『朗庵像』の頌=偈が、江戸時代のものとなると、この『楽阿弥』の狂言も江戸時代の作となります。もうひとつ、「大尺八と小尺八を吹き合わせする」ということは、室町時代に調子の違う2管の尺八で合奏ができたのか。1オクターブ違うとなると、1尺1寸の「一節切」と、その倍の「2尺2寸の尺八」が存在していたことになります。決定的なのは、「楽阿弥」がなぶり殺される情景を「縄でしばり、矯(た)められ、炙(あぶ)られ、のこぎりでひかれ」と、尺八の製法を語っていることです。そこがおかしく笑える「狂言」になっている所以(ゆえん)です。今日の尺八は、根の方を下に使い、下部を縄でしばって火にあぶり、若干反らせる“ためなおし”というのをします。それから、のこぎりで切ります。室町時代の「一節切」は真っ直ぐで、ためなおしの必要はありません。今日のような根っ子を使った尺八の製法が書かれているということは、『楽阿弥』は江戸時代の作と考えられるのです。もっとも、水上勉は『虚竹の笛』で、今日のと同様の尺八が室町時代にも存在し、それは「一休」が創作したかのような記述になっています。しかし、大徳寺の芳春院と、酬恩庵一休寺に伝存する「一休の尺八」は「一節切」です。これも、私は一休より後世のものと思っています。その理由は、江戸時代に「一節切」を復活させようとした際、「尺八」の名にこだわって「1尺8分」になります。室町時代の「一節切」は1尺1寸〜3寸はあったようです。
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