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ウクライナ人、ヴャチェスラヴ・オニスチェンコがロシアのウクライナ侵攻を受け、日本語版読者に向けて現在の思いをつづった 

2022年03月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



友人の川口重雄さんからのメールを転載します。

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各位                   3月7日〔本日第1信〕こんにちは。今日は第五福竜丸元乗組員・大石又七さん(圓海和同信士)の一周忌の命日です。一年とは早いものです。そして今日はつとめ先の学校の第74回高等部卒業式です。下記2点は友人から届いた情報です。いずれもウクライナ侵攻関連情報です。新聞記事13点、添付ファイルでお送りいたします。1.「原発やっぱり狙われた」『東京新聞』2022年3月5日号2.師岡カリーマ「本音のコラム―心の羅針盤」『東京新聞』同上3.前川喜平「本音のコラム―独裁者は教育を支配する」『東京新聞』3月6日号4.篠田博之「週刊誌を読む―ウクライナ情勢」『東京新聞』同上5.田中優子「時代を読む―直線の国境」『東京新聞』同上6.「英シンクタンク・日本特別代表 分析」『東京新聞』3月7日号7.「処理水の放出 賛否拮抗」『東京新聞』3月6日号8.吉岡桂子「多事奏論―言葉は燃やせない」『朝日新聞』3月5日号9.書評「被害者の苦難と国の言い訳―栗原俊雄『東京大空襲の戦後史』」『東京新聞』3月5日号10.「日本、ウクライナに防弾チョッキ」『朝日新聞』3月5日号上段には、ガソリン補助金の上限を5倍に引き上げるニュースも。参院選をにらんだ業界補助金です。11.「ロシア非難 なぜ避けた」『朝日新聞』同上12.「ウクライナとロシア 歴史の実相は」『朝日新聞』3月7日号13.「立憲いまだ決まらず」『毎日新聞』3月6日号参院選神奈川選挙区の立民の候補者選び、選挙民としては溜め息が出ます。それでは。川口重雄拝
-----Original Message-----ロシアのウクライナ侵攻:現地では8年前から戦争が続いていた(nippon.com)220303https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g02077/nippon.comロシア語版エディターのウクライナ人、ヴャチェスラヴ・オニスチェンコがロシアのウクライナ侵攻を受け、日本語版読者に向けて現在の思いをつづった。現地の早朝に始まった悪夢 2月24日木曜日の正午過ぎ、ウクライナに住む友人がFacebookに「爆発で飛び起きた! 何のこと?」と投稿してきた。現地は朝5時過ぎ。私は仕事柄、常にウクライナのニュースやSNSをチェックしている。これがロシアのウクライナ侵攻の始まりだった。 それまで、もう何週間もロシアは軍事力を国境近くに集めていた。「戦争になりかねない」と皆感じていた。しかし、これがプーチンの外交ゲームであってほしいと最後まで期待していた。プーチンは本気だった。目の前の現実が悪夢のように思えた。ロシア軍は本格的な攻撃を続け、状況は日に日に悪化している。しかし3月3日の時点で電気、通信インフラの多くは機能しており、日本在住のウクライナ出身者はSNSやインターネットを通じて家族・友人と連絡は取れている。現地の状況も大まかには知ることができる。 女性・子どもの多くは、国の東部から西部へ、そして隣国のポーランドやモルドバなどに避難を始めている。18歳から60歳までの男性は国内に残り、その多くが国を防衛する任務に志願している。しかし、私の両親のような高齢者は自宅にとどまるしか選択肢はないようだ。とても心配だ。2014年のクリミア併合から 今回の事態について、日本人の皆さんにぜひ知っておいてほしい、理解してほしいことをこの機会に伝えたい。それは、今の戦争が始まったのは2022年2月24日ではなく、14年2月のことだったということだ。われわれウクライナ人はこの8年間、常にロシアと戦争状態にあると感じて生活していた。 ロシアはウクライナの領土だったクリミアを併合し、東部にいわゆる「自称共和国」(親ロシア勢力が独立を宣言したドネツク、ルガンスクの2州)をつくった。ウクライナ政府軍と親ロシア勢力は紛争状態に入ったが、その後は毎週のようにウクライナの兵士が何人も何人も殺されていった。 ウクライナの安全保障について多くの関係国が合意した「ブタペスト覚書」という政治協定書がある。1994年12月にハンガリーの首都ブダペストであった欧州安全保障協力機構(OSCE)会議で署名された。 その内容はベラルーシとカザフスタン、ウクライナが核不拡散条約に加盟することを条件に、核保有国の米国と英国、ロシアがこの3国に安全保障を提供するものだ。中国とフランスも別の書面で、部分的な個別保障をしている。 この覚書に照らせば、ロシアはウクライナに手を出すことはできない。しかし、プーチンは2014年にクリミア半島に侵攻し、これを反故にした。当時、米国や欧州各国は経済制裁などでロシアに強い圧力を掛けたが、北方領土の交渉を抱える日本はほぼ事態を静観する対応をとった。「ナチス」持ち出す空虚なプロパガンダ もう一つ、日本人の皆さんにぜひ知っておいてほしいことは、ウクライナ政権を「ネオナチ」と呼び、反ファシズムを侵攻の理由に掲げるプーチンの主張は、全くのでたらめであることだ。 ウクライナに限らず、右翼はどの国にも一定程度存在する。しかし、極右勢力がウクライナ政界で主導権を握ったことなどは過去に一度もない。これははっきりしている。 ユージン・フィンケル米ジョンズ・ホプキンス大教授ら第2次世界大戦やナチス、大量虐殺の歴史を研究する欧米の学者グループは、プーチンの言説を強く非難し、ホロコーストの犠牲者に対する冒とくであるとする声明を発表している。連帯と支援に感謝 2月26日土曜日、渋谷駅前であった抗議デモに私も参加した。主催者のウクライナ人は、参加者を200人ほどと想定して警察に届けたそうだ、しかし、ふたを開けてみると、約2000人もの人が集まった。9割方が日本人の参加者だった。余りに人数が膨れ上がったため、近隣の迷惑になるとしてデモは予定の2時間から1時間に短縮されて終わった。 日本のメディア報道でも連日、ウクライナ侵攻に多くの時間が割かれている。これだけ強い関心を持っていただいて本当に感謝している。日本もウクライナと同様にロシアの隣国で領土問題を抱えている事情から、日本人は今回の事態に強い関心があるのだと感じる。 ウクライナは独立した主権国家であり、その安全保障をめぐっては、新たな「ブタペスト覚書」のような協定書が今後必要になるだろう。また、ロシアが破壊した物的・人的被害を補償するのは当然のことだ。加えて、今回の侵攻は明らかな国際法違反であり、最終的には責任者の訴追と裁判が必要だ。バナー写真:在日ウクライナ人らによる抗議集会でロシアのウクライナ侵攻に対して抗議する人たち=2022年2月26日午後、JR渋谷駅前(時事)ヴャチェスラヴ・オニスチェンコVyacheslav ONYSHCHENKO経歴・執筆一覧を見るnippon.comロシア語版エディター.。.1972年ウクライナ・ドニプロ生まれ。2002年に来日し、弘前大学研究生を経て東北大学大学院で日本の中世文学を研究。博士(国際文化)。『将門記』、『陸奥話記』、『奥州後三年記』、『平治物語』、『承久記』、『曽我物語』、『一休ばなし』などを初めてロシア語に翻訳した。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・プーチン氏の本音反映か ウクライナめぐり一方的歴史観―国営通信社が誤配信の論説(時事)220305 https://www.jiji.com/jc/article?k=2022030400844&g=int 【モスクワ時事】ロシアの国営通信社がロシア軍のウクライナ侵攻開始の2日後に誤って配信した、戦勝を前提に準備されたとみられる論説記事が、プーチン大統領の本音を反映していると内外で話題になっている。記事は直ちに削除されたが、プーチン氏が安全保障上の理由からではなく、ウクライナはロシアの一部になるべきだという一方的な歴史観に基づいて侵攻に踏み切ったことを示唆する内容だった。ロシア大統領「要求すべて満たせ」 ウクライナ停戦協議、譲歩せず 政権の意向を代弁する国営ロシア通信は、2月26日に「ロシアと新たな世界の到来」と題する記事を配信した。記事は「ロシアは歴史的完全性を回復しつつある」と主張。「ロシアの軍事作戦はウクライナに新たな時代を開いた」と強弁した。 また、ロシアとウクライナが分かれた1991年のソ連崩壊を「われわれの歴史における大惨事」と表現し、「一時的な分離を長期にわたって許せば、先祖の記憶を裏切るだけでなく、子孫から呪われるだろう」と強調。「プーチン氏はウクライナ問題の解決を次世代に委ねない歴史的責任を自ら負ったのだ」と持ち上げている。 さらに、戦勝を前提に「今や問題はない。ウクライナはロシアに戻ったのだ」「ロシア世界の一部としての自然な状態に戻される」といった記述が並んだ。 プーチン氏は軍事作戦決行の理由として、ウクライナの政権が東部の親ロシア派に対しジェノサイド(集団虐殺)を行っており、ロシアの安全保障も脅かされていると主張した。しかし実際には、歴史的に関係が深い「兄弟国」のウクライナを勢力圏に引き戻し、ロシアを中心とした「帝国」を築く野望を持っていると疑われている。プーチン氏は昨年7月、両国の「歴史的一体性」に関する論文も発表していた。 東スラブ民族を中心とするロシア、ウクライナ、ベラルーシは、9世紀末からキエフを中心に成立したキエフ公国を源流に持つ。キエフ公国は10世紀にキリスト教を国教として栄えたが、モンゴルの襲来で13世紀に滅んだ。その後、モスクワ大公国が台頭。モスクワが政治の中心地となり、ロシア帝国の成立へとつながった。
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(了)

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