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金田博美、金田朋子
2022年1月22日・・一升瓶に入った牛乳
2022年01月22日
テーマ:テーマ無し
1月22日(金)自治会から訃報の連絡。近所の方で、妻は通夜に行き、私は葬儀に行く予定。年が近く家も近くて個性的な人が亡くなるのはつらい。子供のころ、たぶん小学生の頃だったと思うが、親から頼まれてその家へ空の一升瓶をもって牛乳を買いに行っていた。家の裏から中の道を通って歩いて2、3分の距離だ。そのころその家には納屋に牛がいたのだと思う。一升瓶に入った牛乳を持ち帰り、おふくろが鍋に移し替えて砂糖を入れ温めてくれた。砂糖を入れてゆっくり温め、飲み頃になると牛乳の表面に薄く幕が張った。幼稚園で飲んだ牛乳(脱脂粉乳だと思う)は味がついていて、小学校で飲む瓶に入った牛乳には味がついていなく水ぼかった思いがある。一升瓶に入った牛乳は、おふくろの正にさじ加減で甘かった。甘味が薄いときは砂糖を足してくれた。何年続いたのかは覚えていなが、多分一年ぐらいではなかったかと思う。家の裏口からその家までの道を半世紀以上前の幼い私が、行きは空の一升瓶を、帰りは牛乳が入って重くなった一升瓶を両手で抱えて歩いている姿を重ねる。私はこの家で生まれ、この家で亡くなっていく、これからの私の姿に思いを馳せる。これからの残された人生も、健康で幸せに妻と共に少しでも長く歩んでいきたい。
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