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平成の虚無僧一路の日記

歌が恐怖だった私 

2011年09月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



テレビもテープレコーダーも無い時代だ。歌といえば
ラジオで流れるだけ。歌謡曲をラジオで聞くことなんか、
私の家ではなかった。「美空ひばり」でさえも、
子供には聞かせられない曲とされていたのだ。

音楽といえば、レコードで聞く「クラシック」か、
小鳩くるみ や松島トモ子の童謡、唱歌だった。

それを幼稚園では、手拍子を打って歌わされた。

小学校にあがって、音楽の時間、歌を歌う時に、私は
手拍子を打った。手拍子を打つものだと思っていたから。
すると、先生が「誰ですか!やめなさい!」と。
あの時のおっかない先生の顔を今でも覚えている。

それがトラウマで、歌は全く歌えなくなった。
友達から「死んだはずだよ お富さん」なんて歌を
覚えて、家で歌うと「やめなさい!」と母に叱られた。
「そーらん節」や「黒田節」も歌ってはダメだった。

小学校4年の時、クラス全員で、NHKラジオに出演する
こととなった。すると、本番直前で、先生が「牧原、
おまえは歌うな!」と、また みんなの前で叱られた。

その時、自分が音痴だと初めて気づいた。母は、音痴を
心配して、音楽の成績を上げるために、ピアノを習わせた。
でも全く弾けない。ピアノの先生からは怒られてばかりで
ますます、音楽が「音が苦」になってしまったのだ。

その私が、今「音楽」で食べている。

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