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平成の虚無僧一路の日記

多治見市 

2011年09月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2007年に 40.9℃を記録して「日本一暑い町」として
有名になった「多治見市」。相変わらず、連日35℃の
猛暑。

愛知県からは 内々津(うつつ)峠を越えた岐阜県側の町。

私の先祖「牧原只右衛門」は、紀州徳川家から会津保科
(松平)家に転籍したが、会津で生まれた子供に「多治見」と
いう名前を付けた。2代目は「牧原多治見」という。
名前に「多治見」とは珍しい。なぜ「多治見」という
名前にしたのだろうか。

江戸時代の初め、「多治見」は 会津まで名が知られて
いたのだろうか。多治見には 虚無僧で何回か行き、
いろいろ調べてみた結果、

「多治見」が全国的に知られるようになるのは、
江戸時代の中ごろ、陶器の集積地となり、ここから
全国に出荷されたからと考えていた。

ところが・・・・、
今朝(9/16)の中日新聞に「平安期の仏画が描かれた陶器
が発見された」とあった。「1万7千点もの陶器片が
出土し、その中の一つ」という。

多治見が平安の昔から窯業の盛んな地だったことが判る。

鎌倉末には、夢窓疎石により、虎渓山永保寺が建てられ
ていた。永保寺に行った時は、「なんでこんな山奥に・・・」
と思った。

だが、多治見は 鎌倉、室町の頃も、信州と尾張を結ぶ
中山道の要所として栄えていたようだ。


では、わが先祖は「多治見」にどんな思いがあったのだ
ろうか。推理しながら小説にしたいと思っている。

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