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平成の虚無僧一路の日記

『山月記』の李徴は 私か 

2011年09月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「隴西の李徴は 博学才穎」で始まる 中島敦の『山月記』が
またまた話題に上っていた。高校の国語の教科書に載って
いたから、誰でも知っているかと思いきや、周りの人に
聞いても誰も「知らない」という。知らない方がいい。

ある高校教師のブログに「あれは、教えるの難しいから
飛ばした」ともあった。

たしかに「なんで、こんな小説が国語の教科書に載るのか」
という疑問の方が大きかった。

自分は才能があると自惚れながらも、その才能に自信が無い。
己を恃み、世に入れられず、時代を恨み、世を拗ねる。
あげくのはて、旅人を襲って喰う“虎”になってしまう。

そんな「李徴」に、私は自分の将来を見る気がしたし、
結果はその通りになった。

60年生きて、何ひとつ描いた夢を果たせず、時に「虎」に
なって暴れたい衝動にかられる。

毎日のように報道される「殺人事件」。その犯人も
そうではないか。その瞬間に「虎」となり、人事不省に
陥るのだろう。殺してから 後で吾に返って、罪を悔い
改める。

私も一歩間違えば、塀の中。虚無僧は己を殺す修行。
宗教や倫理の会で、必至に己を殺しているが、人を
殺したい衝動が抑えきれない時もある。ああ今宵、
「虎」に変身しタイガー。まだ「理性」は生きている。

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