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平成の虚無僧一路の日記
殉国七士の墓
2021年07月05日
テーマ:テーマ無し
愛知県の三河湾を臨む三ヶ根山上に、東京裁判により昭和23年に絞首刑を執行されたA級戦犯七人の墓があることは聞いて知っていた。このほどお参りしてきました。
蒲郡の西、形原温泉街から三ヶ根山有料道路を登ること、車で15分ほど。「殉国七士の廟」と彫られた巨大な門柱。
そこから200mほどで、また巨大な彫刻。
そしてその先正面に「殉国七士の墓」
「七士」とは板垣征四郎、松井石根、東條英機、木村兵太郎、土肥原賢二、広田弘毅、武藤章の7名。
蒋介石国民党総裁が「戦犯1号」に挙げた謀略の大家、満州国の建国に関わった土肥原賢二元陸軍大将、
南京大虐殺の罪に問われた松井石根元陸軍大将、
開戦当時の総理大臣兼陸軍大臣東条英機元陸軍大将
フィリピン捕虜虐待の罪に問われた武藤章元陸軍中将、
満州事変を起こした関東軍参謀長の板垣征四郎元陸軍大将
唯一文民出身で中日戦争を起こしたとされる広田弘毅元首相、
ビルマ戦線で侵奪行為を行った罪に問われた木村兵太郎元陸軍大将。
?
その七士がなぜここに眠る?
昭和23年(1948)12月23日、巣鴨プリズンで絞首刑となった七士の遺体は横浜市久保山の火葬場に運ばれて荼毘に付された。その遺骨は、GHQによって太平洋上に散骨されたことが、このほどアメリカの公文書で明らかにされた。
しかし、GHQが七士の遺骨を鉄の鉢に入れて運びだした後、東京裁判で小磯国昭大将の弁護人だった三文字正平と火葬場のすぐ上にある久保山興禅寺の市川伊雄住職が火葬場に忍び込んで、火葬場長の飛田氏の計らいで残骨を集め一つの骨壺に収めて持ち出された。
そして熱海の伊豆山に松井石根大将が昭和18年に建立していた興亜観音堂に安置された。
それから10年あまりが過ぎ、有志の偶然の出会いから三ヶ根山頂に七氏の墓地建設が決まり、遺族をはじめ政財界、その他各方面からの賛同を得て、昭和35年に殉国七士廟が完成した。
なぜ、三ヶ根山か。それはここが日本の真ん中に位置するから?? それは後からのこじつけで、三文字弁護士と親しかった林逸郎氏が仕事の関係 (蒲郡競艇場建設でのトラブル仲裁)でしばしば蒲郡を訪れ、そこで知り合った地元選出の県議三浦兼吉氏に話を持ち掛けたことで進められた。当時、三ヶ根スカイラインの建設が計画されており、そこの観光目玉になればとのことで、幡豆町長の了解を得たのだった。
ネットでは「これに反対する投書がたくさん寄せられた」と書かれているが、関係者の話では「そんなことは無かった」と。
三ヶ根山には「七士の墓」だけでなく、その後「比島観音」他、さまざまな部隊の戦没者慰霊碑が建立されている。
?
さて、ネットで検索していて、この「七士の墓」の建立には住吉会の会長堀政男親分が深く関わっていたことが書かれていた。
堀政男氏は、武力では無く人間性で住吉会の一大連合組織を築いた人物でもあり、当時、総勢1万6千人を超す大住吉を率いる首領にもかかわらず、とても豪華とはいえない質素な一軒家に住み、金銭に対する強欲が無く、専用のリムジンに乗るのを嫌がり、大人数で歩くのを嫌い、道の端を歩き、最高幹部である側近にさえ行き先を告げず、自ら切符を買い、単身で一般人と同じように手すりや吊革に?まり、人の流れや四季の移り替わりを見て、それを楽しむかのように電車で移動していたという。現在ではまず考えられない「別格」な「本物」の庶民派親分でもあると。
三ヶ根山に「七士の墓」を建設するにあたり、快く私財を投げうって協力を惜しまなかったが、「私のような者が名前を出しては、関係者にかえって迷惑がかかる」と、建設資金出資者名簿などに一切名前は出さなかったとのこと。
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