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平成の虚無僧一路の日記
東条秀の罪
2021年07月04日
テーマ:テーマ無し
近年、東條英機を再評価する動きがあるが、こちらは、それを否定する方の意見。
「東條は偶然あの時期に首相だったので損をした」と言う人がいますがとんでもない、 戦争に反対であれば「総理大臣、陸軍大臣として認められない」とはっきり言えばいい。それが言えなかったとしたら政治家として無能、無責任。東條の場合は「言えなかった」のではなくて「言わなかった」のです。
「天皇の要請を受けて東條が戦争回避の為に必死の努力をした」と言う記録はありません。
●東條は関東軍時代は憲兵司令官、参謀長として板垣征四郎などと企んで満州でケシを大規模栽培し、阿片を満州、中国で大量に密売。巨額のカネを儲けて陸軍主戦派の秘密資金にした。
●関東軍参謀長、陸軍次官、陸軍大臣と一貫してして中国大陸侵略を促進、太平洋戦争の主因を作った。
●第三次近衛内閣では、近衛文麿は山本五十六などの言を容れて平和路線を摸索していた。悪化する日米関係を見すえて海軍大臣は「総理に一任」と。近衛は「私に任されたら支那からは撤退。アメリカとは関係調整」と答えた。これに対して 東條陸軍大臣は激怒、「中国からは絶対撤退しない。アメリカとは戦争する」と強烈な横槍を入れた。そして会議のあと、わざわざ近衛に二度も使いを送り、「あの件では陸軍はこれ以上話し合うつもりはない」とトドメを刺した。その為に第三次近衛内閣は総辞職に追い込まれた。
●また、東條は当時行なわれていた日米和平交渉の継続を主張する外務大臣を怒鳴りつけ、「日本の要求がすべて通るという外交でなければやめてしまえ」と期限を切って(アメリカには秘密で)開戦を決めてしまった。東條は戦争がしたくて仕方がなかったのだ。
●次期首相になった東條は、天皇から「今までの経緯は白紙に戻し、米英との戦争を避けるように」と要望されたが、それを無視して戦争を始めた。 東條は開戦を決めた夜、皇居の空に向かって泣いたという様な話は、東條由布子などが戦後に創作した話。 国が崩壊し310万の日本人が死んでからそんな事を言っても遅い。
●戦争が始まると、東條は総理大臣、陸軍大臣に加えて内務・軍需・商工・外務・文部の各大臣、更に陸軍参謀総長まで兼任、歴任。憲兵を私兵化し、全国にスパイ網を敷いて専横政治を行った。 自分のお気に入りの腰巾着で周りを固め、気に入らないものは陸軍の高官ですら前線へ左遷。民間人の場合は徴兵年齢を大幅に超えている人も懲罰徴兵で死地に送り込んだ。
東條はかんしゃく持ちで、閣議でもすぐハラを立てるのでみんな困った。ヒットラーと同じだ。ふた言目には「私は天皇陛下に信任された総理大臣だ。その私を批判するのは陛下を批判する事になる」と、天皇の名前を担ぎ出す。
●ところが、東條は「天皇への忠義には広義と狭義がある。狭義の忠勤は天皇の意思を直ちに実行する。しかし広義の忠義は天皇の意思がこちらの考えと違っていたらそれを正す。それでも変わらなければ強制してでもこちらの意見を通す。自分は後者を選ぶ」と。これでは忠誠心どころか天皇の意思に歯向かう反乱である。
●そして学徒出陣命令。彼は「戦争反対」を心根に叫ぶ知識層や学生が憎かった。そこで文科系の学生の「徴兵免除」を反故にして、戦争に駆り出すことにし、国民の緊張をますます高めようとした。
●東條は軍人としても無能。戦争ボロ負けの昭和20年2月26日、天皇の質問に答えて「戦争はまだ五分五分。本土決戦があっても米軍の三分の一の兵力で勝てます」と言って天皇を呆れさせた。彼は「徹底抗戦」「一億総玉砕」を主張し続けた。
●そして敗戦。東條は自分が始めた戦争で国がつぶれてしまった責任を取って軍人らしく自決するどころか、GHQに逮捕されるまで生き永らえようとした。そして自決未遂。生き恥をさらした。
●日本が降伏した時、東條メモにはこう書き記されている。 「政府、国民がこんなに簡単に手をあげるような意気地なしとは夢にも思っていなかった。そんな国民をあてにして戦争指導した自分が馬鹿だった」 と。
無謀な命令に黙々と従って死んだ忠勇な兵士たちや特攻で散った若者たち、苦しい生活を我慢した国民を侮辱した言い草であり、昭和天皇の聖断をバカにしたコメントである。?
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