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平成の虚無僧一路の日記

7月2日 金閣寺が放火で焼失 

2021年07月01日 外部ブログ記事
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金閣寺、放火で焼失
1950(昭和25)年7月2日の午前3時ごろ、京都市上京区(現北区)の鹿苑寺舎利殿(金閣寺)が火事で焼失した。警察が不審火として捜査し、同寺の見習い僧侶であり大谷大学生の林承賢が行方不明であることが判明。夕方、寺の裏にある山中で睡眠薬を飲み切腹してうずくまっていたところを発見され、放火の容疑で逮捕した。林は懲役7年の実刑判決を下され、服役。55(同30)年に恩赦で出所したが、半年後に肺結核で死亡した。この放火事件をヒントに三島由紀夫が小説『金閣寺』を書いた。
昨年 京都観光に行った時、ガイドが「金閣寺と銀閣寺、どちらが古いでしょう」というので、当然「金閣寺」と答えたら「残念でした、銀閣寺です」という。
そんなバカな、金閣寺は応永6年(1399年)足利三代将軍義満が建てた。銀閣寺は八代将軍義政が祖父が建てた金閣寺に倣って建てた。造営の開始が文明14年(1482年)のはずだ。なぜだ!?
京都から帰って分かった。
金閣寺は1950年(昭和25)放火により焼失して、1955年(昭和30)に再建されたのだから昭和の建物でした。
あぁそれなのに、金閣寺は1994年(平成6)ユネスコの世界文化遺産に登録された。
だましたな!
金閣寺は今見ると金ピカだが、これは、昭和30年の再建後も何度か金箔の張替えや修復が行われているから。
焼失前は、もうボロボロ、金箔も剥げ落ちていた。いやそもそも金箔は三階部分だけだったようだ。

義満が建てた当時とは外形も違っているそうな。創建当初の復元図がこちら。

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