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時は流れる 

2021年07月01日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

寂しい。

本田さんの家が空き家になり、庭の周りの椎茸の原木や農機具全てが消えていた。






本田さんご夫妻は、この地に来る度に会っていろいろ話をした唯一の知り合いだった。
ご主人は私と同じ位の年齢で、省線、国鉄、民営化されたJRと保線に人生を捧げられた。誇りにしておられた。実直な人生を全を通して、国交通の安全を担ってこられた自負のある方でした。


息子さんは東京の私立大学へ。当時年収240万円。全て息子さんの学費と仕送り。奥さんが、当時既製服のなかった時代で洋裁の腕で家計を支えたと、当時のご苦労を聞いた。村でたった一人の洋裁学校出身だったようです。それも誇りに満ちた笑顔できいた。


本田さんの言いたかったのは、息子さんは都会で就職、結婚。滅多に里には帰ってこない寂しさを愚痴りたかったのだと思う。親の苦労、子知らず。


六日町に娘さんがおられるとのことだから、娘さんの近くに引っ越したのだろうか。


冬は3メートルの積雪に閉ざされるこの土地では、空き家になると朽ちるのが早い。
何軒かの空き家が屋根から朽ちていくのを見かける。雪の重みに耐えかねて。
無残な様を数軒見て、考えると寒気がする。


仲のいいご夫婦だった。奥さんはご主人を立てておられたのを思い出す。
お二人の健康を祈る。
私の手元には、黒文字のヨウジや靴滑りなどが残る。写真も。











窓の雪囲いの高さは積雪の深さを物語る。

ホンダさんのトマトを買ったのがご縁で後に座敷でお茶を頂いたり。人懐かしい。
あれこれの断片を思い出し偲ぶ。

























白い建物が私の宿。他にもコンドミニアム、リゾートマンションが林立している場所もある。約三十年以上前に起こったブーム。


巨大な建築物が静かな部落に現れて、住民としても建築反対しなかったのか伺うと。スキー宿しかない村に、大きい雇用が生まれて村が潤ってると聞いた。そんな単純な話でもなかったのではないかしら。この建築群が廃墟に化す時は必ずくる。こわい。

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