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平成の虚無僧一路の日記

6/25 宮城道雄の命日「浜木綿忌」 

2021年06月25日 外部ブログ記事
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今日は何の日。今日6月25日は宮城道雄の命日「浜木綿(はまゆう)忌」。
「浜木綿」は宮城道雄の遺作となった曲名。それを記念しての命名。
宮城道雄は、紀州の実業家・小竹林二氏と親交があり、たびたび白浜を訪れていた。そして白浜に因んだ「浜木綿」という詩を作り、自ら曲をつけた。
温泉の匂ひほのぼのともとおりきたる鉛山のこれの小径いくめぐり今平草原にわれはたたずむかぐわしき黒潮のいぶき妙なる浜木綿の花のかおりうずいして一握の砂を掌に掬べば思いはかの千畳敷三段壁はては水や空なる微茫の彼方につらなるああ常春のうるわしき楽土よ時に虚空にあって聡に鳶の笛澄む朝もよし木の国の白良浜やこれ
宮城道雄 自ら作詩、作曲した曲はこの「浜木綿」が唯一。
昭和31年(1956)6月4日、「宮城道雄先生詩碑」が完成し、その除幕式が行われ、「祝賀記念演奏会」が白良浜ホールで行われた。

この像については、大変不評であった。
宮城道雄氏は、ふだんのしぐさは建常人と同じで、盲人と思わせなかったという。昭和31年6月4日、この像の除幕式に、宮城道雄と姪の喜代子、数江も列席した。幕を引いて現れたのは、等身大の宮城道雄?の像。眉をゆがめ、壁を探すように手を差し伸べている。いかにも盲人とわかる像に、喜代子、数江は不快感を顕わにした。
「宮城先生は、歩かれる時も普通の人と同じです。こんなぶざまな格好はしません!」と、作り変えを要求したそうな。
それでか、宮城道雄 没後40年たって、平成5年9月、詩碑のそばに宮城道雄の胸像が建てられた。

白浜での公演の20日後、宮城道雄は再び東海道線に乗って関西に向かった。そして、6月25日、刈谷駅手前で、列車から転落して亡くなった。いかに盲人とはいえ、列車のデッキのドアとトイレのドアとを間違えるはずはない。というのが事故説を否定する理由のひとつ。さすれば、自殺か他殺か!
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