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平成の虚無僧一路の日記

美空ひばり 壮絶な最後 

2021年06月24日 外部ブログ記事
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昭和の大歌手「美空ひばり」
1989年6月24日午前0時28分、特発性間質性肺炎の症状悪化による呼吸不全の併発により死去。52歳だった。

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だがそこに至るには数々の病気との戦いや、荒れた私生活があったという。
ひばり44歳の1981年、実母・喜美枝は転移性脳腫瘍で、68歳で他界。
ひばりの2人の実弟、かとう哲也(1983年)と香山武彦(1986年)も42歳の若さで後を追う。
今の世としては、皆短命だ。
肉親の死で精神的にも落ち込んだひばりは、1987年4月に極度の体調不良で緊急入院。重度の慢性肝炎、特発性大腿骨頭壊死症と診断され3ヶ月半芸能生活を休止する。
47歳、1985年5月、ひばりの「誕生日記念ゴルフコンペ」のプレー中に原因不明の腰痛を訴える。
49歳、公演先の福岡市で極度の体調不良に陥り緊急入院。重度の慢性肝炎(肝硬変)と両側特発性大腿骨頭壊死症と診断され、入院療養。明治座の公演中止となる。
退院後も肝機能は回復せず、大腿骨頭壊死の治癒も捗々しくなく、病状は一進一退。
50歳の1988(昭和63)年4月、東京ドームでの復帰公演。痩せ衰えた体をかろうじて支え、脚の激痛に耐えながらも全39曲を熱唱。体調は悪化していたものの、ドーム公演後の10か月間、13カ所の全国公演、テレビ番組収録などに精力的に挑む。
 51歳、1988年12月25日、26日は帝国ホテルで生涯最後のクリスマスディナーショー。
年が明け、1989年1月7日に昭和天皇が崩御し、元号が「昭和」から「平成」へ移り変わった日、ひばりは「平成の我 新海に流れつき 命の歌よ 穏やかに」と短歌を詠む。「明日の自分は、今日の自分に勝ちます」――。
3日後の1月11日、『川の流れのように』のシングルをリリース。だが、特発性間質性肺炎はかなり進行し、ひばりを苦しめる。
2月6日の福岡サンパレス公演で、持病の肝硬変の悪化によるチアノーゼ状態になるが、コンサートを強行。1100人の観衆を前に全20曲を熱唱。
翌2月7日、北九州市小倉にある九州厚生年金会館での公演が、生涯最後のステージになる。
 会場の楽屋では、酸素吸入器と医師が控える。肝硬変が急変すれば、食道静脈瘤が破裂し、吐血寸前の病態に追い込まれる。以後、横浜アリーナのこけら落とし公演に執念を燃やすが、自宅療養を余儀なくされる。
 だが、3月21日にラジオのニッポン放送の『美空ひばり感動この一曲』と題する10時間ロングランの特集番組に自宅から生出演。番組終盤に生涯最後のコメントを残す。
「ひばりに引退は有りません。ずっと歌い続けて、いつの間にかいなくなるのよ」

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