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平成の虚無僧一路の日記

尾瀬での戊辰戦争にわが先祖の名 

2021年06月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私の妻の叔母「蜂谷 緑」の著『尾瀬ハイキング』の中で、「戊辰戦争の時、尾瀬でも、会津藩と官軍の戦いがあった」ことが書かれていた。それを読みながら、そこに、私の先祖も居たような 気がした。そこで、ネットで検索してみたら、なんと尾瀬を守る隊長が「牧原文吾」だった。「牧原文吾」は、当家の系図では、「会津藩を脱藩して、松井九郎と改名し、大鳥圭介に従って、函館まで行き?行くへ不明」となっていた。それが『天極記』他に「別伝習隊、松井九郎、元会津藩士、牧原文吾」として、名前が載っていることが判ったのだ。要約すれば、「戊辰戦争で、上州の諸藩は( 保身のため ) 官軍側に付き、難路の尾瀬方面から、会津に攻め入ろうとした。そこで、幕府別伝習隊が、松井九郎(牧原文吾)を隊長として、桧枝岐から尾瀬に向かい、戸倉の戦いで、官軍を撃退した。しかし 会津より、会津藩兵と交代するよう命令がきて、松井九郎(牧原文吾)は会津に戻り、8月24日、会津若松城下七日町で 敵の陣中に斬り入り、戦死した」という。なんとも、不思議な気がする。父は「尾瀬林業」に勤めていたが、このことは知らなかった。そして、私は、妻の叔母から「尾瀬でも戦いがあった」ことを知って、なぜか先祖のことが頭に浮かんだ。そして、ネットで検索していて、「行くへ不明で 墓も無い 牧原文吾」のことが判ったのだ。

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