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「高縄築堤見学会」を11日付朝日新聞が報じました 

2021年04月11日 外部ブログ記事
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昨日、高輪築堤の見学会が行われたことを11日付朝日新聞が報じました。


>文字おこし<
日本初の鉄道跡保存どこまで
? 日本で初めて鉄道が開業した際、海上に線路を敷くために造られた「高輪築堤」(東京都港区)の遺構の一部が10日、市民に公開された。一帯ではJR東日本が再開発を進め、有識者らと遺構の保存方法について協議を続けているが、意見の隔たりも残っている。
高縄築堤 有識者・JR東、なお隔たり?? 高輪築堤は1827年、日本初の鉄道が新橋ー横浜間に麗した際、現在のJR田町駅付近から品川駅付近までの長さ約2.7キロに築かれた。その後、埋め立てられた際に撤去されたとも考えられていたが、2019年の品川駅改良工事の際に石積みの一部が見つかり、20年には再開発区域の高輪ゲートウヱイ駅付近の車両基地跡も発見された。確認された遺構は計約800bに及ぶ。 10日に公開されたのは、JR東日本が再開発を進める1〜6街区のうち、4街区から出土した遺構。長さ約380bの石垣のほか、日本初の鉄道信号機の跡とみられる遺構も含まれる。? 高輪築堤の周辺では、JR東日本がホテルやオフィスなどが入った4棟の超高層ビルを建設予定で、遺構を現地保存するのに必要な開発計画の大幅な見直しには消極的な姿勢を示してきた。これに対し、考古学者らでつくる日本考古学協会は「世界史的にも稀有な 遺跡」として、現地での全面な保存と開発計画の抜本的見直しを訴える声明を発表。2月には萩生田光一文部科学大臣が「開発と保存を両立させ、現地で保存公開できるよう検討してほしい」と求めた。 こうした動きを踏まえ、JR東日本は建設予定ビルの設計の一部を変更する新たな案を、JR東の有識者委員会「高縄築堤調査・保存等検討委員会」などに示し。歴史的価値が高いとされる「第七橋梁」と呼ばれる部分を中心に、2・3街区の遺構の一部を現地保存すが、それ以外は記録を残す「記録保存」にとどめる方向。1〜4街区のピルの開業時期は当初予定の2024年度から変えない。? 関係者によると、検討委員会の委員らはJR東が譲歩したことは評価しつつ、4街区の遺構についても現地での保存を要望。一方、JR東の深沢祐二社長は今月6日の定例記者会見で、「4街区は開発の中心であり、変更は非常に難しいというのが現在の考え方。検討委員会でできるだけ早く結論を出して頂きたい」と述べ、方向性は一致していない。(一條優太、小川崇)
「その後、埋め立てられた際に撤去されたとも考えられていた」と文中にあります。これは港区教育委員会の文書にも出てきます。しかし当時の国有鉄道が、品川台場や江戸城小石川門、筋違橋門、浅草橋門の外堀三見附の石垣で構築した築堤を、建設重機のない時代に「撤去するよりは埋め立て」をしたと考えるのは歴史学の立場からは常識の範疇です。「撤去された」とか「線路があったので地質のボーリング調査が出来なかった」という言い訳は、内閣府の特区と東京都首都整備局から「開発手形」というお墨付きを貰ったJR東日本の傲慢な態度と考えています。
(了)

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