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檜原村 重要文化財 小林家住宅 

2021年04月06日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

平成20年まで一人の老人が住んでいた山上の住宅。 

家屋の価値が認められて重要文化財、小林家住宅に。

車が通れる道はない。


急勾配の坂道をを歩くか、又は村が設置しているこの福祉モノレールで行く。






















急勾配です。 婆さん乗りますか、どうしますか。 誰も聞かない。当然乗ることになっているのだ。見ただけで恐ろしい急な坂なのに。




お嫁ちゃんが、「ローラーコースターより怖そう」と言うのが背後で聞こえる。
ベルトをしてハンドルにしがみ付いて、、、、、。


途中で止まったりしないのかなぁ、、、、、、、。


杉林の中をどんどん上に登ります。速度は当然ですが、ゆっくり。


四合目から上の勾配はさらに急に。














福祉モノレールとは、 ネットより


檜原村では、自動車が入れる道路がない家の交通を確保するため、平成15〜16年度(2003〜2004)に5路線の福祉モノレールを整備しました。 整備費は約9千万円で、乗車毎に協力金を100〜300円徴収して燃料費などにあてています。 福祉モノレールは動力車+3名が乗れる乗用台車+荷物台車の編成で、アクセルとブレーキのレバー操作で運転します。 


上に着いてみれば楽園さながらの三つ葉つつじが咲き乱れ別世界が待っていました。

平成10年まで、最後は一人で頑張って暮らしていた老人一人の手で植えられたツツジが山です。村が老人から家屋を買い取って五億円をかけて改修、重要文化財として保存。老人は下山。






















人々は尾根沿いに家を設けて自給自足で暮らしていた。ひえあわそばの栽培。炭焼き。などが現金収入。尾根伝いに馬で往来するので行き来はあった。


近年、道路が川沿いにできて多くの人々はは移住した。


小林住宅内の解説女性は年齢不詳の老女です。この地より更に奥深い他の峯の尾根沿いに子供の頃から今に至るまで住んでいると言う。小学校は村立の分校まで片道6キロの山道を毎日歩いたそうです。健脚自慢。


山の上に残った何軒かには車で行ける手段がないので、村が福祉モノレールを設置したそうです。一軒の家のために、きめ細かい厚い村の福祉に感動。


知らなかった今更ながらの社会勉強でした。


今もなお生きている東京のお話です。


とにかく凄いの一語。






何故、人との交流を避ける様な不便極まる山の上に定住したか。想像をかき立てられる。


炭焼きの炭も、収穫物も人力で運び売りにゆく。背に背負い急な坂を下る。


檜原村物語で私の脳はいっぱいになりました。










コロナのさ中こんな日曜日をくれる息子たちに感謝。















この解説してくれる老女は実際に山奥の山上に生涯過ごしてきた人だから、解説も実生活の経験があってのこと、とても惹かれる。真実味がある。

今もなんの不自由も感じずに上暮らしだそうです。山暮らしを楽しんでいると言う。


山の上なので水はない。村が水道管で遠方の水源から引いてきて、それで暮らしているそうだ。当然電気もある。もう少し話を聞いてみたいが、彼女は勤務中。


人の一生は色々。想像の向こうの世界です。


苦労は山ほどあったでしょうが、俗世界に住む我我には得られない山の生活の一瞬一瞬自然界の幸せがあったに違いない。

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