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葵から菊へ
スエズ運河コンテナ船事故に思う。「日露戦争バルチック艦隊と海底ケーブル」
2021年03月30日
テーマ:テーマ無し
地中海と紅海をつなぐスエズ運河は、アジアと欧州を結ぶ航路。南アフリカの喜望峰を回る航路に比べ、航海をおよそ1週間短縮できる利点がある。
3月23日にエジプトのスエズ運河でコンテナ船が座礁する事故が発生し、多数の船舶の往来が遮断されて海運や物流に多大な影響が生じる事態に発展したが、29日午後、離礁に成功した。
明治大学山田朗教授は著作「世界史の中の日露戦争」の中で「日露戦争は海底電線布設など日本はロシアに情報戦で勝利した」との記述がある。これをヒントにして「尖閣諸島」と「竹島」を研究したら、海底ケーブルと軍事史に深く関連していることが分かった。Blog記事「尖閣諸島(竹島も)問題は海底ケーブルという軍事事情があった」
吉川弘文館刊「世界史の中の日露戦争」から「日本の情報伝達システ厶」と「日本海軍がバルチック艦隊を発見した」部分を転載したい。
「日本の情報伝達システ厶」 情報伝達のための電信線(主としてモールス信号による通信)の敷設については、日本政府?陸海軍は戦争が近づくにつれて準備を進めていた。日本から諸外国に通じる電信用の海底ケーブルは、すでに一八七一年という早い段階で長崎ー上海間、長崎ーウラジオストク間にデンマーク系の国際電信会社・大北電信会社(GreatNorthernTelegraph Company)によって開設されており、一八七三年に東京ー長崎間の国内電信線と大北電信会社の国際線が接続され、東京と世界は電信によって直接つながることができた(石原・二〇〇八)。国際電信のルートは、一八八三年に北九州の呼子ー隠岐ー対馬ー釜山間の海底ケーブルが敷設され、長崎ー呼子の国内通信線とも接続されることで三つのルートができあがった。日清戦争の際、日本側はもともと清国の主動で架設された朝鮮半島の釜山ー京城間の電信線を接収・改修するとともに、新たな電信線も敷設した。また、一八九六年にはイギリスから海底ケーブル敷設専用船「沖縄丸」を購入し、翌九七年七月には九州と台湾を海底ケーブルで結んだ。翌九八年には台湾(淡水)ー福建省(福州)間海底ケーブルをイギリス企業から買収した。日英同盟が締結された一九〇二年には、イギリスが一八五〇年から建設を進めてきた、世界の全植民地とロンドンとを結んだ電信用海底ケーブル網(地上線も含むAll Red Roseを完成させ、日本の国際通信ルー卜は、九州ー台湾ー福州から香港経由のイギリス線に接続することが可能になった。従来の三つの国際電信ルート(長崎から上海ウラジオストクウ・釜山を経由するもの)は、いずれもロシアが出資している大北電信によって管理されていたため、戦時においてこれら既存ルー卜をつかって国際通信を行うと、ロシアに情報が漏れる恐れがあった。台濟ルートが、イギリスが構築した国際電信網とつながり、一九〇三年にはアメリカからの太平洋横断海底ケーブルがフィリピンのマニラまで達したので、すでに敷設されていた香港ーマニラ間のイギリス線を経由して、日本は大北電信ルー卜をつかわなくてもイギリスとアメリカと電信連絡をとることができるようになった。? また、戦時に備えて、日本はあらかじめ九州ー台湾間に海底ケーブルを敷設した際に、余分に五〇〇海里(約九〇〇キロ)分のイギリス製海底ケーブルを確保・貯蔵していた。海底ケーブルは、特殊な防水材料と製造技術を必要とするために国内では生産できず、発注してもすぐには到着しないからであった。児玉源太郎が主導して購入したこの海底ケーブルは、開戦直前から軍用通信網の建設につかわれた。海底ケーブルの敷設と地上有線通信網の整備、無線電信の導入は、日露戦争における情報力において日本がロシアに対して優位に立つ大きな要因となった。そして、ちょうど世界を結ぶ有線電信網が構築されたことで、極東での戦争の情報が通信社や新聞社によって瞬時に世界中に報道されるようになったのである。欧米諸国の人々は、日露戦争の戦況を自国にいながらにして時々刻々知ることができた。リアルタイムで全世界に戦争の状況が報道されるようになった最初の大戦争が日露戦争であった。
「敵艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊はただちに出動之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」
五月二七日二時四五分頃、五島列島白瀬の西方向四〇海里の海域で、哨戒艦として活動していた仮装巡洋艦「信濃丸」(日本郵船から海軍が徴用していた貨物船)は北上してくる汽船の灯火を認めた。接近するとそれはロシアの病院船アリヨールであった。「信濃丸」艦長が、この船を臨検しようとした時、その船の向こう側(次第に明るくなってきた東側)に艦隊らしきもの十数隻の煤煙を発見した。「信濃丸」は、図らずもバルチック艦隊の隊列に紛れ込んでしまっていたのである。「信濃丸」はロシア艦隊に発見される前に、いったん艦隊から離れ、この一ヶ月前に搭載したばかりの無線電信を使って、四時四五分、「敵艦隊の煤煙らしきものみゆ」とまず打電した。そして、続いて四時五〇分、「敵の第二艦隊見ゆ。地点二〇三」と報じた。これが連合艦隊がバルチック艦隊を直接に捕捉した最初である。この第一報は、朝鮮の鎮海湾の連合艦隊旗艦「三笠」では受信できず、第三艦隊の「厳島」を経由して、無線電信で「三笠」へと伝えられた。通信士から連合艦隊司令長官東郷平八郎大将がバルチック艦隊発見の報を伝えられたのが五時五分のことである。東郷司令長官はただちに全艦隊に出動を命じ、大本営には「敵艦隊見ゆとの警報に接し連合艦隊はただちに出動之を撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども浪高し」と打電した(一般に敵艦ゆ……」と記されているが、大本営が受け取った報には「敵艦隊見ゆ」とある)。この「三笠」からの報道は、無線連絡ではなく、「三笠」から書面で仮装巡洋艦「台中丸」に伝えられ、「台中丸」に引き込まれていた海底ケーブルを使って巨済島の松真浦里にある軍用電信局へと伝えられ、そこから対馬ー壱岐を経由する海底ケーブルによって日本本国に達し、東京の大本営まで届けられたのである。
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(了)
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