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歴史と出会う3(司馬遼太郎さん他) 

2021年03月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



?歴史と出会う3(司馬遼太郎さん他)?筆者が、古文書が読めるまで ☆『武士の家計簿』は不思議な縁から生まれた *筆者が13歳の時、祖母が先祖の古文書を筆者にくれた *みみずが這った跡のようでちっとも読めない *「先祖の古文書を解読する」一大プロジェクトを始めた ☆古文書は、精密な磯田家先祖の記録であった *磯田家の先祖、計数に明るいことから「倹約奉行」に任じめれた *大名行列の旅費節約にも成功した *最後には側用人になり、以後、重臣に列した *武士の世界もソロバンが重要なのだと感じた ☆筆者は、高校生になって、さらに先祖のことを調べた *磯田家は幕末には重臣なにに貧しかった *維新以後、大庄屋の家から嫁に来た曽祖母の遺品は豪華であった *農民が金持ちで武士が貧乏なのは、なぜかの疑問が沸いた *先祖の家計簿でもあればと思ったが先祖はつけていなかった ☆筆者三十歳の時、古本屋で赤の他人の武家家計簿を見つけた *分析して本に書いたのが『武士の家計簿』?司馬さんに会えたらという反実仮想(1) ☆司馬遼太郎記念館から講演を頼まれた ☆司馬さんが生きておられたら *あの地震、津波、原発事故以来の話聞いてみたい ☆司馬さんは、この国の人々の行く末を考えあぐね *心配に心配を重ねておられた方もない ☆福島原発事故以後、我々は普通の人々の偉さを目の当たりにした *一方で、権威者の堕ちた姿もみた *事故が起きたとき、現場にいた核の参謀たちは福島市まで退避 *電力会社の社長は平日、夫人と奈良旅行を楽しんでいた *呼び戻されると、血圧が高くなって入院した ☆命がけで踏みとどまったのは、現場の人々であった *現場や地元には肝心なことは何も知らされない、怒りをおぼえる ☆わたくしたちが目にしたのは *「立派な現場・駄目な指揮・とんでもない兵站」である ☆「想定は外・情報は内」というこの国の姿 *これこそが司馬さんが生涯かけて *筆の力で日本人に更改をせまったもの ☆昭和のあの戦争の失敗の時から、なんにも変わっちゃいない ☆持つて行き場のない憤りが、心中に、ふつふつと沸いてきた?司馬さんに会えたらという反実仮想(2) ☆司馬さんだったらこの事態に直面して何を語られたか ☆今回の事態は、いきがかりの現状を自然に受け容れすぎる *日本人の心性が「あだ」になった面がある *安全基準の扱いがそうだった ☆新しい原発はさすがに高台に作ってあった *古い原発は恐ろしく甘い想定のままで稼働を続けていた ☆日本における安全の考え方 *「これまでの物は仕方がない。これから作る物は安全に」 *日本人は、環境に甘く最悪の 事態は考えないことにしがち ☆日本人は、現状は追認するものではなく *改善すべきものだと肝に銘じねばなるまい?司馬さんに会えたらという反実仮想(3) ☆明治には、その精神があった *公家の岩倉具視でさえ「日に新たに、日々に新たに」を座右の銘とした *必死で、時勢に対処していったことが、それを象徴している ☆司馬さんは、明治人のリアリズム ☆薩人(幕末の薩摩人)の的確な判断力について書いている *薩摩は、日本のなかの例外かもしれない *薩人、「もし、こうなったら」と考える「反実仮想」の習慣があった ☆司馬さんが存命であれば、このことぜひとも語ってみたかった ☆薩人では、仮定の質問を子どもに問い、考えさせる訓練が繰り返された ☆幼少期に、仮想してみる頭が鍛えられることは、とても大きい *想定外が想定内になってくる、このことが、いまの日本には大切だ ☆司馬さんからどのような答えが、かえってくるであろうか *「もし……ならば」と考えてみたい                    (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、「歴史の愉しみ方」歴史と出会う3(司馬遼太郎さん他)(ネットより画像引用)

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