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大石又七様の戒名は、「圓海和道信士」(えんかいわどうしんし)。 

2021年03月22日 外部ブログ記事
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友人の川口重雄さんからのメールを転載します。
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各位       3月22日〔本日第1信〕
第五福竜丸元乗組員・大石又七さんが3月7日(日)亡くなりました。
享年87歳。
3月10日(火)に行われた葬儀では、「圓海和道信士」(えんかいわどうしんし)という戒名だと聞きました。
棺の大石さんは安らかな顔で、額と額がぶつかるくらいの近さまで寄ってお別れしました。
遺影は第五福竜丸展示館内のスナップ。右腕を左肩上に上げた一瞬を捉えたもので、着ているシャツは焼津縞のシャツです(この後、遺影の写真を含め友人からの情報をお送りいたします)。

葬儀の始まる前、葬儀・初七日法要の合間に拝見したアルバムには、釣りの写真、写真、写真、写真、写真。
ある時は伊豆へ、ある時は伊豆七島へ、ある時は家族を連れて屋久島へ、そしてある時はアラスカへのサーモン・ツアー。
「金曜の夜に竹芝桟橋から伊豆大島や式根島行きのフェリーに乗って、船中1泊、現地で1泊して、月曜の朝には竹芝桟橋へ」だったそうです。
第五福竜丸を前に語る時の大石さんとは異なる、別の表情の大石さんがそこにいました。
大石さんは静岡県榛原(はいばら)郡吉田町住吉生まれ、小生は隣りの隣り町の榛原郡相良町片浜小字法京(現・牧之原市)生まれ。
子どもの頃、小生のまわりには沿岸・遠洋漁師のおじさんたちがたくさんいました。
1954年3月1日の「事実」がなかったら、大石さんもそういう漁師の一人だったかも知れない。
その無念さと「事実」によって起きた不条理への無念さと、その両方が大石さんの中にはあったのではないかと勝手に考えました。
棺には、大石さんお手製のプロが作ったかと思うような釣り竿が納められました。
圓海和道信士となった大石さんは、にこにこ釣り竿を垂れながら、愛するパートナーのところへ向かわれています。
朝刊5紙の訃報を添付ファイルでお送りいたします。(略)
1.椋田佳代、松原由佳「大石又七さん死去 第五福竜丸 証言先駆者」『毎日新聞』2021年3月22日号
共同執筆者の一人・松原由佳さんはつとめ先の学校の卒業生です。在学中は小生の案内する第五福竜丸見学会へ参加、2年前に大石さんに取材しています。
2.西村奈緒美「大石又七さん死去 87歳 第五福竜丸の元乗組員」『朝日新聞』2021年3月22日号
第五福竜丸のこと、マグロ塚の会のこと、取材していただいております。
3.「大石又七さん死去 第五福竜丸被ばく 反核訴え」『東京新聞』2021年3月22日号
『東京新聞』は第1面左肩、第2社会面7段分を訃報に割いています。
4.「「核のない世界」若者に託す 被ばく証言700回超、意欲衰えず」『東京新聞』2021年3月22日号
5.大野孝志「評伝 「未来の命のため」強い信念」
6.「大石又七さん死去 87歳 第五福竜丸元乗組員」『読売新聞』2021年3月22日号
7.「第五福竜丸の元乗組員 大石又七氏」『日本経済新聞』2021年3月22日号
それでは。川口重雄拝
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マグロ塚を作る会の追悼文
「大石又七さんは、「築地にマグロ塚を作る会」の代表として1998年の発足以来先頭に立って活動してきました。暫定的ですが1998年には都営築地市場駅近くにプレートの設置や2000年には夢の島公園内に「マグロ塚」の設置を実現しました。2019年3月1日、6243名の「築地跡地にマグロ塚」を求める署名用紙を東京都議会へ陳情書と共に提出しました。しかしオリンピックや「築地まちづくり」再開発を理由に継続審議になり、現在もそのままの状態です。私たちは大石さんの遺志を引き継ぎ、今後とも築地にマグロ塚の移設を実現するために行動します。大石さん安らかにお眠りください。
2021年3月22日 築地にマグロ塚を作る会 事務局長 及川 佐
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2019年9月23日「築地にマグロ塚を作る会」主催の三浦海岸ツアーに参加したとき。

(了)

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