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平成の虚無僧一路の日記

偈箱の「明暗」とは 

2021年02月28日 外部ブログ記事
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虚無僧といえば、天蓋と尺八と、「明暗」と書いた「偈箱(げばこ)」の3点セットを持っているのが定番だ。ところが、不思議なことに、江戸時代の錦絵や浮世絵には、「明暗」と書いた偈箱は存在しない。たしかに、明治23年、虚無僧尺八愛好家によって、京都東福寺の塔頭善慧院内に「明暗教会」が設立され、戦前の虚無僧谷狂竹は偈箱に「大本山東福寺 明暗教会」と書いていた。今でも、京都明暗寺の明暗教会会員はそう書いている人もいる。ところが谷狂竹の後を継ぐ西村虚空の門下は、現在明暗教会には所属していない。その流れの青木虚波夢氏は「不生不滅」と書いている。高橋空山門下の、私の慶応の先輩 藤由越山氏は、偈箱に「桐の紋所」を描いている。高橋空山が「皇室の裏紋である桐紋が正しい」と称しているが、根拠は不明。浮世絵では出てこない。さて、「明暗」とだけ書くようになったのは、どうやら映画の中でのようだ。「邦楽ジャーナル」に連載している神田歌遊氏はS25(1950)年の 『虚無僧屋敷』からというが、それ以前、S18(1943)年の 羅門光三郎主演の『虚無僧系図』で、すでに「明暗」は 使われている。スチール写真では偈箱を提げていないのだが、中で登場してくる。柴田聖山こと菊水湖風が、「自分が『明暗』を提案した」と言っていたそうだが、菊水湖風が協力した映画は、S30(1955)年の『虚無僧系図』(市川歌右衛門)。この映画では明暗寺奉賛会の会員85人が、エキストラ出演し、菊水湖風編曲の『虚空』を吹いているそうな。背景のその他大勢の虚無僧は偈箱を提げているが、主役の市川右太衛門は提げていない。私の師の堀井小二朗も、菊水湖風氏とともに関わっていたようで、「映画監督から相談を受けて、自分が『明暗』を提唱した」と言っていた。その時、参考として提供した堀井小二朗師の虚無僧姿の写真では「明暗教会」となっている。「明暗」は、普化禅師の偈「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」に由来するはずだが、江戸時代には認識されていなかったとは意外。

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