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平成の虚無僧一路の日記

岩村田藩の山室氏 

2021年02月13日 外部ブログ記事
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母方の「山室」氏の出自は「千葉県の山室」と突き止めたところ、親戚から「佐久市の岩村田藩の重臣に山室がおり、一族ではないか」と手紙が届いた。早速ネットで検索してみれば、「岩村田藩の重臣山室尚高の4女」で、明治時代にいち早くロシア正教会に入信し、石版画でイコンや人物画を描いて有名となった「山室政子(結婚して岡村)」がいた。

また 同じく岩村田の出身で、詩人で児童文学の「山室 静(しずか)(男性)。 1906年(明治39年)−2000年(平成12年)」がいる。

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では「岩村田藩」とは?。ネットで調べてみると、江戸時代にできた小藩でした。内藤氏の一族「正友」が、初め 500石から出発し、武蔵・上野・常陸・上総・下総など各地に分散して領地をもらい、1万5千石にまで出世した。はじめ、武蔵国赤沼藩主となり、さらに元禄16年(1703年)佐久郡の内27ヶ村で1万6000石を与えられ、岩村田陣屋を置いたことに始まる。城は無かった。この岩村田藩の山室氏も、江戸時代になって移り住んで来たとすると、内藤氏が下総に知行地を持っていた時の仕官ではなかったかと想定される。そうすると、やはり 下総 山室の一族か。尚、内藤氏の一族には、保科家の後の高遠藩を継いだ内藤清長がいる。「新宿」の地名の起こりとなった「内藤新宿」の領主だ。だが、江戸時代の高遠藩には「山室」姓はいない。

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