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平成の虚無僧一路の日記

上杉の時にも山室氏が 

2021年02月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



ネットで検索していたら、長野市松代にも「山室氏の城、霞城」があることがわかった。
こちらの山室氏は、「天正10年(1582)に織田方の森長可から知行を安堵され、その後、越後の上杉景勝に属した。そして、上杉景勝が会津移封となった時、山室氏も会津に移り、1,050石の知行を得た」という。
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会津は、鎌倉時代は三浦一族の「芦名氏」が支配し、伊達正宗に滅ぼされ、秀吉の命で蒲生氏郷がはいり、さらに上杉景勝。
その上杉の家臣にも山室氏がいたことになります。しかも1050石とは大身。
その上杉は、関が原の時、家康に敵対し、改易、山形県の米沢に移封となります。
そして四国松山から加藤嘉明。そして保科と、次々と領主が変わります。
そして、私の母方の山室氏は千葉から高遠を経て会津に来た。
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おっと、その前、鎌倉から室町にかけて会津を支配した最初の領主「芦名」氏の家臣にも「山室」姓の者がいたのです。
私が所持している『芦名時代の分限帖(家臣録)』の中に「山室」姓がいるのです。
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