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東京女子医大病院検診の帰途に、児玉誉士夫や長嶋茂雄に関連する場所をデジカメで 

2020年11月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日は東京女子大学付属病院消化器センター・消化器内科谷合麻紀子先生のコレステロール定期検診でした。
「影の総理杉田和博」関連の書籍に「謀略の昭和裏面史」があります。「ロッキード事件隠蔽された児玉ルートの謎 重要な軍用機汚職疑惑が捜査されなかった理由」に「事件発覚後、児玉は病気を理由に特捜部の捜査をかわし 」の記述と東京女子医大病院に入院する児玉誉士夫の写真があります。

『前世紀はもちろん、今世紀の社会にまで重大な影響を与えながらも、いまだに世間でほとんど知られていない診断の捏造もある。それがロッキード事件における最大の謎、児玉誉士夫の証人喚問回避の秘密である。ロッキード事件の時の児玉誉士夫の脳梗塞の診断は、1976年2月16日喜多村孝一(当時 東京女子医大脳神経外科教授)によって捏造されたものであった。』(特捜検事を騙した医師)
児玉誉士夫が女子医大病院で死亡したニュースを見てから女子医大病院に駆けつけました。霊柩車が出てくる出口の前を報道陣とテレビカメラが待ち構えていました。昨日はその場所をデジカメで撮影してきました。
『2004年3月4日、長嶋茂雄さんは脳梗塞で倒れてしまったのですが、彼が倒れた場所は極秘でした。何故なら、長嶋茂雄さんは愛人宅で脳梗塞で倒れたからだった様です。愛人は、長嶋茂雄さんが倒れた事を長嶋家に連絡したそうです。長嶋一茂さんは、愛人宅から救急車に乗って長嶋一茂さんが病院に行く事を避ける為、脳梗塞は緊急を要する病気だというのに、まず長嶋茂雄さんを自宅に運ばせて、自宅から長嶋茂雄さんを救急車に乗せて病院に運んだのだそうです。早期治療が望まれる脳梗塞なのに、この様な経緯で処置が大幅に遅れてしまい、長嶋茂雄さんは重度の後遺症が残ってしまった可能性が高いとの噂です。』(長嶋茂雄の妻の死因は自殺だった?!二人の子供や愛人についての詳細も紹介します!!)
この「ネット記事」は大体正確だと思います。それは愛人宅は新宿区弁天町でしたので近所の人達にとっては「周知の事実」でした。弁天町から河田町の女子医大は救急車ならば5分で到着しますので、脳梗塞は軽かったかもしれません。
東京女子医大病院はVIP用の高級病棟一号館を建てました。医師と看護師は病棟だけを担当し、家族や見舞客の外部からの出入りも厳しくなっています。一号館前の区道に報道陣とテレビカメラが並んでいましたので何事かと聞きましたら、長島茂雄氏が入院していることがわかりました。癌治療をしながらも常勝「福岡ソフトバンク」をつくってきた王貞治氏と比べ、弱体化した「読売巨人軍」選手の士気に、愛人問題と脳梗塞で半身不随となった長嶋茂雄氏の影響があるような気がしています。
尾張徳川家中屋敷跡は官有地となり、政府はその一部に清国留学生のために「振武学校」を建てました。蒋介石はここを卒業後、陸軍13師団高田野砲兵第19連隊に士官候補生として入隊しました。その後は陸軍経理学校が建てられ、現在は東京女子医大と付属病院、女子医大・早稲田大学先端生命医科学研究教育施設、東京韓国学校、都営若松アパートがあります。



経理学校の煉瓦塀(現在は老朽化によって殆どが無くなっている)

ビルの隙間に見える「陸軍省所轄地」境界石

検査入院中に一号館をスケッチしたが、ヒマラヤ杉だけは残った。


霊安室から出てくる霊柩車の出口



神楽坂日蓮宗善国寺の門柱に「昭和四十六年五月十二日 児玉誉士夫建立」と彫られている。



善国寺は「山の手七福神」の毘沙門天がある。

善国寺の真後ろにあった待合「松ヶ枝」跡のマンション。田中土建工業社長田中角栄は、児玉誉士夫に芸者辻和子を紹介されて愛人とします。辻和子の自宅は市谷船河原町にありました。

第一号棟の遠望。右側は女子医大・早稲田大学先端生命医科学研究教育施設。

管理人が新宿区議会議員時代の実績である都バス「女子医大前」バス停。


日本維新の会共同代表片山虎之助参議院議員が住んでいる河田町コンフォガーデン(フジテレビ跡地に住都公団が建てた)

住宅棟1号棟が41階2号棟が17階になっているのは、北側日照問題ではなく陸上自衛隊市ヶ谷基地通信塔からの電波を妨害しないためです。

詳細は下記の記事を参照してください。
拝啓民主党岡田代表殿 眼下に広がる日本版ペンタゴン・防衛省庁舎群に戦争法先取りの「日米共同調整所」
(了)
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