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ドモドモ\(´▽`*)(*´▽`)/ドモドモ

(T▽T)アハハ! 

2020年10月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


最近 思うけど 栄枯盛衰って 激しいな 今の時期って ほんとそういう時代 支配層の入れ替わりを 感じるな〜〜 90歳過ぎて頂点に立ってる 方々が いよいよって時期に 突入してるしね  ぶらも長いこと 生きてるせいか 理解できる 例を あげれば 1970年代に活躍した人は 決まって 80年代でこけてる ぶらもその一人で 振り返っても 80年代が最悪だった 王貞治さんの例を挙げても 70年代は 第一の頂点じゃないかな このころ 3冠王2回とって ホームラン世界記録 巨人は9連覇 78年から衰え始め 80年に現役引退したけど こんな事 言っていたな〜〜〜〜〜 ”世界記録を取った時 目標を失った 頂点に立った時 まるで何も見えない野原にたどり着いた気分だった” って回術してた そして指導者になる話が出て 王は新しい目標ができたと 喜んだのが束の間 助監督 監督と歩んだけど かつてのようにはならず 巨人は低迷して 結局 辞任した 80年代の頃だな〜〜〜 その後ダイエー(のちのソフトバンク)の監督になり 名将となるけど ほかにもそういう人が 多く 90年代 2000年代になって 復活した人もいるしね 逆に80年代に脚光浴びた人は 今 人知れず って状態だしね でも 考え方を変えれば 再修行の時期とも言えるしね 王さんの場合80年代は 名選手から名監督になるための再修業の時期だったかも 現役の頃は 日本刀で特訓したけど 監督になって PCの使い方がわからず 富士通に聞いたとか (重役自ら電話に出て教えたとか) 選手が委縮しすぎて解きほぐしに時間がかかったというし コーチも委縮しすぎて いうがままになってしまっていたり 誰も反対意見を言わなかったというしね 場面を変えるけど ガロさんも その典型で 70年デビューしたけど 最初の一枚目がマニアックすぎて 受けが悪く 外部ライターの 曲依頼で2枚目制作 学生街の喫茶店が 大ヒットし 困惑 これが ガロの足枷になってしまった 本質はCSNYの カバー路線で 超高度な演奏力を持っていたけど テレビ出演では仇になってしまった ライブでは大うけだったけど 76年解散後 3人は低迷 80年代になり 堀内氏と日高氏で演奏したこともあったけど 短命に終わり 過去の遺物扱いとなり 堀内氏は 実業家に転向 オートテニス場を経営 日高氏は ハードロックのバンドふた作ったけど すぐに解散 86年没 堀内氏も テニス場の経営は順調だったけど 家庭トラブル で閉鎖 音楽指導の仕事をする傍ら 音楽活動に復帰 その後 交通事故でギターが弾けなくなったりしても 必死のリハビリで立ち直り 2007年本格復帰 だけど CD制作中に 病で倒れ 中断して 復帰 CDは発売するも 2014年没 最後のライブは 入院中なのに外出して 演奏したというし まさしくプロですね 余生も寿命もない あるのは 音楽だけ って姿勢が伝わり 感銘して 暗い部屋をコピーしたけどね ガロの場合 自作曲より外部の曲が売れる事態で 苦しみ 引きずってしまったかもね 日高氏が80年代のインタビューで ガロの曲を相当 憎んでいたとか 70年代 栄光をつかんだ人には 80年代は悪夢の時代だったかも ぶらもそうだから わかるしね 見方を変えれば 現役から指導者の方向転換の時期 立場が変化する時期であったかも ぶら自身 80年代から90年代はつらい時期だったけど 97年の交通事故が皮肉なことに 転換期だったしね 事故前と事故後の生活が 大幅に変わったし 音楽活動も 今 変わりつつあるしね ただ演奏するだけじゃなく 指導までするようになったしね 確かに 悪夢の時期は誰でも経験があるけど 修業期 転換期と思えば いいかも 先述の王貞治氏の場合 明らかに変換期だったしね 名将になるための修業の 時期だったかも 結局 球団会長までなれたしね ぶら自身も 80年代の悪夢の時期がなければ お墓にはいっていたかもしれないし 刑務所に入っていたかもしれないしね なんとも言えないけど 悪夢は人を成長させる って格言があるけど その通りですな   

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