メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

青梅・鈴法寺跡 

2011年08月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



虚無僧寺を統括する本寺の「鈴法寺」は、江戸から
数十キロ離れた「青梅」に在った。東京の西はずれだ。

ここには、過去何度も訪れている。今は「公園」として
整備され、ネットでも数多く写真がアップされている。

「鈴法寺」が青梅に建てられた経緯は、旧家の吉野家に
伝わる古記録から明らかにされている。

吉野家の先祖「吉野織部之助」は、後北条氏の家臣で、
行田市の忍城主に仕えた武士であったが、落城後、
青梅に新田を開拓して、その名主となった。ある時、
かつて忍城で戦死した同僚(秋山惣右衛門)の子(惣太郎)に
出会う。父を失った惣太郎は、虚無僧となり「月山養風」と
号し、葦草村(いぐさむら=川越市)に住んでいるという。

そこで、吉野織部之助は、かつての同僚の倅でもあり、
開拓地の66区画の屋敷割りの中から三区画を寄進し、
鈴法寺を建て、庇護したという。

これほどまで具体的に経緯が明らかになっているのは
稀有だが、落城時「惣太郎」は5歳くらいの子供だった。
それが成人して、道で会って「やぁ、なつかしい」と
判るものなのだろうか。惣太郎の虚無僧の師はいないのか。
川越の葦草に居た時も「鈴法寺」だったのだろうか。
いろいろ疑問が残る。


さて、その「鈴法寺」の歴代住職の過去帖が残されているが、
生歿年が 全くデタラメなのだ。年号が、鎌倉時代だったり、
次は江戸の初め、かと思うと室町の年号だったり、時系列に
そろっていない。ただ知っている年号をアトランダムに
書いたとしか思えない。

まともに取り合っていると、チンプンカンプン。「虚無僧の
出鱈目」ここに極まれりなのだ。
先を急ごう。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ