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平成の虚無僧一路の日記

北杜市、武川・牧原 

2011年08月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



茅野から韮崎までの中央道は、ずっと下り。「高速道」を
使わず、一般国道(20号線)を通る。

小淵沢から長坂、武川まで合併して「北杜市」になった。
その北杜市長坂で、昨年「竹竹の会」のコンサートがあり、
出演させてもらった。長野県内で活躍する尺八家の会だが、
レベルが高い。その中で「現役虚無僧」としての存在感を
示すことができた。

八ヶ岳山麓の小淵沢では、会社の1年先輩「中川豪氏」が、
「アトリエ豪・GO−SOBA」という「そば店」を
営んでいる。彼も、東京から脱出し「脱サラ」成功組として、
テレビ、雑誌でよく紹介されている。「虚無僧と蕎麦打ち」。
似たような境涯なのだ。

国道20号線をさらに下ると、韮崎の手前に「武川町牧原」の
交差点がある。このあたりは、「武川衆」が領有していた
ところ。「武川衆」は武田の支流で、武田家滅亡後は
徳川家康に仕えた。元禄赤穂事件の時「側用人」として
権勢をふるった「柳沢吉保」も「武川衆」の一人だった。

その「武川衆」に「牧原」姓を名乗るものが居た。
武田信玄が三河に攻め入り、野田城で被弾し、鳳来寺に
逗留していた時「武川衆」が、鳳来寺山周辺を探索している。
「武川衆」は「金の採掘技術」をもっていたのだ。

「牧原」の祖が、この「武川衆」の「牧原」につながると
すると、武田信玄亡き後、鳳来寺から西隣りの「松平郷
牧原」に移り住んだのではないか と思われる。

虚無僧をしながら、この一帯を巡り、史跡を調べてみたが、
「牧原」の地名は残っていても、史跡や文書は発見されな
かった。ザンネン。

ところで、会社の同僚で、無二の親友が、なんと「武川」君。
会社を辞めて13年になるのに、未だに電話で近況を尋ねて
くる。このブログを書いている時も、電話が かかってきて
大笑いした。何か見えない糸で結ばれているのかも。

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