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75年前の9月11日はA級戦犯容疑者第一号東條英機が自決未遂した日。「東條英機自宅跡」は第一級の戦争遺跡 

2020年09月11日 外部ブログ記事
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今日は、2001年9月11日NY同時多発テロから19年、2011年3月11日の東日本大震災から9年半の日、そしてA級戦犯容疑者第一号東條英機が自決未遂した日でもあります。
戦争遺跡には、加害・被害・抵抗の遺跡、遺構、遺物がある。 世田谷区内の戦争遺跡を開眼させてくれたのは保坂展人区長の一文であった。世田谷区に転居して間もなく世田谷区広報紙「せたがや」に保坂区長が「2020年東京五輪の馬術競技会場に予定されている馬事公苑は、戦前『輓馬部隊』がありました。」 早速、馬事公苑、日本競馬会、馬の博物館に照会をしたところ「輓馬機動隊」事務所が馬事公苑に、国士舘大学厩舎、専修大学松原厩舎も「輓馬部隊」であった。 その後、北沢川文化遺産保存の会、世田谷区教育委員会の戦争遺跡ツアーや昭和女子大学堀内正昭教授の「近衛騎兵大隊射撃場の復原的考察」講座に参加した。更に「世田谷区近・現代史」から陸軍駒沢練兵場、駒場練兵場、陸軍自動車学校、衛戍第二病院、高射砲陣地、羽根木町東京防衛軍第二警備旅団第十大隊、米軍「B29」「艦載機」の墜落現場、三宿町測機舎、烏山のウテナ化粧品の軍需工場等々が明らかになった。陸上自衛隊三宿基地中央衛生学校内の医療史博物館「彰古館」には、戦前新宿区戸山にあった陸軍軍医学校の手術器具類、広島原爆調査文献、第731部隊長石井四郎が開発した濾水器が公開展示されている。 75年前の9月11日用賀二丁目の東條英機の私邸に連合国MPがA級戦犯容疑者第一号の逮捕するためジープを乗り付けた。東條は自らの胸を撃って拳銃自殺を図るも失敗する。極東軍事国際法廷(東京裁判)の判決が72年前の1948年11月11日にあり、12月23日皇太子(現上皇)の誕生日に絞首台の露と消えた。世田谷区が建立した「東條英機自宅跡」の小さな石碑があるだけだが、アジア・太平洋戦争の加害の歴史を知るための第一級の戦跡だと考えている。Blog記事「戦争遺跡NO.1東條英機自宅跡」

 海軍特攻兵器「回天」の搭乗員だった田中直俊氏と知古になり、下馬四丁目「世田谷山観音」境内にある「特攻観音堂」の存在を知った。2015年秋の彼岸の日に「特攻平和観音法要」に初めての参加した。前日本会議議長三好達氏と「来賓席」に並んでいた保坂区長が挨拶をした。観音堂建立経緯や同奉賛会の趣旨に見られる“特攻を美化”し、大東亜戦争と書いてある碑文等には歴史認識について大きな違和感がある。甲飛喇叭隊の軍隊行進とトランペット吹奏、そして「空の神兵」「若鷲の歌」「海ゆかば」の全員合唱が続く情景は、靖国神社境内を彷彿させる。「世田谷区平和都市宣言」と「平和資料館建設の趣旨」から見ても相容れないと考える。よって、区長が参列することは「先例」になっているのかも知れないが、絶対に賛成出来ない。 世田谷区は、東京都内の自治体では初めてとなる平和専門の博物館・資料館として「平和資料館」を建設したことを評価しているので「特攻平和観音法要」へ保坂区長の参加は止めて欲しい。
(了)

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