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平成の虚無僧一路の日記

日露戦争の勝利が太平洋戦争の敗戦を招いた 

2020年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞に連載されていた「天佑なり」は 高橋是清が主人公。これまで「日露戦争」も、戦略、戦術のみで語られてきたが、その裏で、戦費調達のために、高橋是清が外債のとりつけなど、いかに努力してきたかを知る上で興味深かった。

「日露戦争」は 国家予算の7倍もの戦費を要した。信じられないほどの額だった。日本がロシアに勝利したのは、ロシアのバルチック艦隊より優秀な、当時最新鋭の艦船や大砲を調達していたからだった。そのためには、外国での公債発行などでの資金調達が必要だった。そうした経済面での話は今まで あまり論じられてこなかった。
そういえば、千代田生命は明治37年、日露戦争開戦の年に創業された。当時、相前後して数十社もの保険会社が設立されたが、これも日露戦争の戦費調達の為だった。生命保険の契約は 30年という長期のため、契約者が預けた保険料は、国に貸付けられていたのだ。さて、国家予算の7倍を投じてまで ロシアと戦わねばならなかった理由は、「ロシアの南下、満州や朝鮮半島の植民地化を防ぐためだった。日露戦争が無かったら、朝鮮半島はロシアの植民地となっていた。もし日露戦争で日本がロシアに負けていたら、朝鮮半島どころか、日本もロシアの属国になりかねなかった。それだけは なんとしても食い止めたいという明治人の決死の覚悟が勝利を呼んだ。この点では朝鮮半島の人々は日本に 感謝すべきである。しかし「太平洋戦争の敗因は、日露戦争で勝利したこと」といわれるように、日本は日露戦争の勝利に酔いしれて、そこから一歩も向上しなかった。日本は日露戦争のままの軍装備でアメリカと戦ったのだ。日本兵が “天皇陛下から拝領した”銃は 明治38年の「三八銃」。その使い道は二百三高地突撃の時と同じく、銃剣を付けて“槍”としての機能しかなかったのだ。真珠湾攻撃で、アメリカは「戦艦より航空機」と気付いたのに、日本は日露戦争のままの「軍艦」にウェイトを置いたままだった。マッカーサーも言う。「日露戦争の時の日本軍の参謀は優秀だったが、東京裁判で目にした日本軍の幹部は みな小者だった」と。アホな参謀の指揮の下 三百万人が命を落とした。その6割は戦って死んだのではない。餓死だったというから、あきれる話である。日本国民も軍部の愚かさに怒って当然。
“兵士として参加した日本人1000万人(日本男子の1/4)”“戦死者200万人” 5人に一人が戦死? その大半は餓死“一般国民の死者100万人” “合計300万人。 5所帯に1人の割合で肉親を失う”“家を焼かれ財産を失った者1500万人”

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広島、長崎の原爆も、軍の参謀本部は情報をキャッチしながら、市民に退避を告げなかったのだから、国民は軍に見殺しにされたのだ。沖縄の島民もしかり。日本軍に殺された。終戦記念日に放映されたNHKスペシャル『戦場の軍法会議』は、逃亡の容疑で軍によって処刑された兵隊の話。まったく見るのも辛い。まさに“敵は本能寺にあり”、真の敵は味方のはずの日本軍だった。そしてアホな軍部の下に 一千万人以上ものアジアの同朋が命を奪われた。福沢諭吉も云っている。「個人としては優秀でも、組織人となると愚者になる」と。日本軍はもうグシャグシャだった。

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