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平成の虚無僧一路の日記

戦犯処刑 

2020年08月14日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



You-Tubeの動画はついつい深夜遅くまで見てしまう。歌謡曲を検索していたのが、「蘇州夜曲」から「南京虐殺」の映像にまで。「南京虐殺」は有ったのか、無かったのか。双方の動画がある。証拠として示された映像や日記を見れば、「全く無かった」とは言い切れないが、それさえ「無かった派」は「でっちあげだ」と言う。日本人が中国で行ってきた残虐行為に対して、戦後B、C級戦犯として処刑された人は 1,000名にものぼる。政府は「天皇の戦争責任」に及ぶことを怖れて、軍幹部の命令をひた隠しにし、できるだけ現地の末端兵卒の恣意的な犯行によるものとした。ここでも政府は日本国民を見捨てた。それどころか積極的に戦犯探しに協力した。
「私は貝になりたい」のように、「(飢えに苦しむ捕虜に)牛蒡(ごぼう)を食べさせた」「(肩こりの治療に)灸をすえてやった」ことで、虐待として逮捕された者もいた。あわれ。

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その中で、「川島芳子は生きていた!」というテレビ番組がYou-Tubeにアップされていた。「方(フォン)おばあさんに育てられた」という孫娘が所持していた「方おばあさん」の写真は、正に川島芳子その人。遺品の双眼鏡に刻まれた「H.k.」のイニシャル。李香蘭の写真とレコード、731部隊との関連を示す遺品など、川島芳子が生存していたことは疑いない。

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美しい要人は得だ。代わりに処刑された女性はいったい誰だったのか。下々の者は利用され、捨てられるだけで哀れ。これも持って生まれた宿命か。
                       
  顔がつぶされて判別不能の遺体 

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