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75年前、広島に原爆投下。多くの人の無念を受け止め、広島原爆投下平和祈念式典。民衆も為政者も、平和への真摯な取り組みを! 

2020年08月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

第二次世界大戦(太平洋戦争)末期
75年前の今日、
8月6日の午前8時15分に、
アメリカ軍が日本の広島市に対して
世界で初めて核兵器「リトルボーイ」を実戦使用し、
   多くの人の命を奪い、
   多くの人が、被爆後遺症、に苦しみ、
   広島市を、焼け野原にしました。
その広島市で、
今日8月6日、午前8時から
平和記念式典が開かれ、
被爆者や遺族の代表をはじめ、
子ども達、若い人達、
首相はじめ世界の国の代表などが
   参列して、行われました。

この祈念式典での
広島市長が訴えた
核軍縮へ建設的対話の継続を・・・・
広島平和宣言全文、です。

戦後75年
 1945年8月6日、
広島は一発の原子爆弾により破壊し尽くされ、
     「75年間は草木も生えぬ」と言われました。
しかし広島は今、復興を遂げて、
世界中から多くの人々が
    訪れる平和を象徴する都市になっています。


 今、私たちは、
新型コロナウイルスという
人類に対する新たな脅威に立ち向かい、もがいていますが、
この脅威は、
悲惨な過去の経験を反面教師にすることで
      乗り越えられるのではないでしょうか。

 およそ100年前に流行したスペイン風邪は、
第一次世界大戦中で
敵対する国家間での「連帯」が叶かなわなかったため、
数千万人の犠牲者を出し、
      世界中を恐怖に陥おとしいれました。
その後、国家主義の台頭もあって、
第二次世界大戦へと突入し、原爆投下へと繋つながりました。

 こうした過去の苦い経験を決して繰り返してはなりません。
そのために、
私たち市民社会は、
自国第一主義に拠ることなく、
「連帯」して脅威に立ち向かわなければなりません。

 原爆投下の翌日、
「橋の上にはズラリと負傷した人や既に息の絶えている
     多くの被災者が横たわっていた。
大半が火傷やけどで、皮膚が垂れ下がっていた。
『水をくれ、水をくれ』と
    多くの人が水を求めていた」という惨状を体験し、
「自分のこと、あるいは自国のことばかり考えるから
     争いになるのです」
      という当時13歳であった男性の訴え。

 昨年11月、被爆地を訪れ、
「思い出し、ともに歩み、守る。この三つは倫理的命令です」
      と発信されたローマ教皇の力強いメッセージ。

 そして、国連難民高等弁務官として、
難民対策に情熱を注がれた
緒方貞子氏の
「大切なのは苦しむ人々の命を救うこと。
自分の国だけの平和はありえない。
世界はつながっているのだから」という実体験からの言葉。

これらの言葉は、
人類の脅威に対しては、
悲惨な過去を繰り返さないように
  「連帯」して立ち向かうべきであることを
      示唆しています。

 今の広島があるのは、
私たちの先人が互いを思いやり、
    「連帯」して苦難に立ち向かった成果です。

 実際、平和記念資料館を訪れた海外の方々から
「自分たちのこととして悲劇について学んだ」
「人類の未来のための教訓だ」という声も寄せられる中、
これからの広島は、
世界中の人々が
核兵器廃絶と世界恒久平和の実現に向けて「連帯」することを
     市民社会の総意にしていく責務があると考えます。

 ところで、国連に目を向けてみると、
50年前に制定されたNPT(核兵器不拡散条約)と、
3年前に成立した核兵器禁止条約は、
    もに核兵器廃絶に不可欠な条約であり、
次世代に確実に「継続」すべき枠組みであるにもかかわらず、
    その動向が不透明となっています。
世界の指導者は、今こそ、
この枠組みを有効に機能させるための決意を
     固めるべきではないでしょうか。

 そのために広島を訪れ、
被爆の実相を深く理解されることを強く求めます。
その上で、
NPT再検討会議において、
NPTで定められた核軍縮を誠実に交渉する義務を
    踏まえつつ、
建設的対話を「継続」し、
核兵器に頼らない安全保障体制の構築に向け、
      全力を尽くしていただきたい。

 日本政府には、
核保有国と非核保有国の橋渡し役を
    しっかりと果たすためにも、
核兵器禁止条約への署名・批准を求める
   被爆者の思いを誠実に受け止めて
同条約の締約国になり、
唯一の戦争被爆国として、
世界中の人々が被爆地ヒロシマの心に共感し
   「連帯」するよう訴えていただきたい。

また、平均年齢が83歳を超えた被爆者を始め、
心身に悪影響を及ぼす放射線により
   生活面で様々な苦しみを抱える多くの人々の苦悩に寄り添い、
   その支援策を充実するとともに、
「黒い雨降雨地域」の拡大に向けた政治判断を、改めて強く求めます。

 本日、被爆75周年の平和記念式典に当たり、
原爆犠牲者の御霊みたまに
心から哀悼の誠を捧ささげるとともに、
核兵器廃絶とその先にある
世界恒久平和の実現に向け、
被爆地長崎、そして
思いを同じくする世界の人々と
    共に力を尽くすことを誓います。

   令和2年(2020年)8月6日
    広島市長 松井 一実


    広島原爆投下の日、私は、2歳でした。
     私の生涯の恩師である
      小学校の女性の先生は、
       広島原爆被爆者で、
        命の大切さ・重さを一杯教えて下さり、
         私たち子どもを慈しんで下さいました。
日本政府も、
  原爆投下による、多くの人の無念を
    真摯に受け止め、
   核兵器廃絶への努力
   被爆者への支援、
    原爆投下の無慈悲さを、真摯に、誠実に
      後世に語り継ぐ施策をされるよう、
       深く、強く、求めたいです。m(__)m







※ このブログで、
原爆投下について触れた号です。
     クリックをお願いします。m(__)m
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