メニュー
最新の記事
テーマ
カレンダー
月別
- 2023年06 月( 10 )
- 2023年02 月( 9 )
- 2023年01 月( 2 )
- 2022年12 月( 11 )
- 2022年11 月( 11 )
- 2022年09 月( 1 )
- 2022年08 月( 8 )
- 2022年06 月( 1 )
- 2022年05 月( 5 )
- 2022年04 月( 9 )
- 2022年02 月( 5 )
- 2022年01 月( 28 )
- 2021年11 月( 1 )
- 2021年10 月( 12 )
- 2021年09 月( 13 )
- 2021年08 月( 18 )
- 2021年07 月( 30 )
- 2021年06 月( 45 )
- 2021年05 月( 11 )
- 2021年03 月( 1 )
- 2021年02 月( 38 )
- 2021年01 月( 8 )
- 2020年12 月( 13 )
- 2020年10 月( 20 )
- 2020年09 月( 20 )
- 2020年08 月( 22 )
- 2020年07 月( 14 )
- 2020年06 月( 28 )
- 2020年05 月( 13 )
- 2020年04 月( 39 )
- 2020年03 月( 41 )
- 2020年02 月( 42 )
- 2020年01 月( 28 )
- 2019年12 月( 1 )
- 2019年11 月( 4 )
- 2019年10 月( 5 )
- 2019年09 月( 4 )
- 2019年08 月( 11 )
- 2019年07 月( 35 )
- 2019年06 月( 19 )
- 2019年05 月( 26 )
- 2019年04 月( 17 )
- 2019年03 月( 17 )
- 2019年02 月( 6 )
- 2019年01 月( 40 )
- 2018年12 月( 13 )
- 2018年11 月( 19 )
- 2018年10 月( 12 )
- 2018年09 月( 16 )
- 2018年08 月( 43 )
- 2018年07 月( 39 )
- 2018年06 月( 38 )
- 2018年05 月( 34 )
- 2018年04 月( 34 )
- 2018年03 月( 36 )
- 2018年02 月( 15 )
- 2018年01 月( 6 )
- 2017年12 月( 11 )
- 2017年11 月( 6 )
- 2017年10 月( 16 )
- 2017年09 月( 15 )
- 2017年08 月( 1 )
- 2017年05 月( 6 )
- 2017年04 月( 9 )
- 2017年03 月( 17 )
- 2017年02 月( 9 )
- 2017年01 月( 40 )
- 2016年12 月( 7 )
- 2016年11 月( 1 )
- 2016年10 月( 7 )
- 2016年09 月( 11 )
- 2016年08 月( 1 )
- 2016年07 月( 8 )
- 2016年06 月( 12 )
- 2016年05 月( 10 )
- 2016年04 月( 4 )
- 2016年03 月( 14 )
- 2016年02 月( 40 )
- 2016年01 月( 33 )
- 2015年12 月( 12 )
- 2015年11 月( 29 )
- 2015年10 月( 11 )
- 2015年09 月( 7 )
- 2015年08 月( 23 )
- 2015年07 月( 14 )
- 2015年06 月( 30 )
- 2015年05 月( 45 )
- 2015年04 月( 39 )
- 2015年03 月( 15 )
- 2015年02 月( 20 )
- 2015年01 月( 49 )
- 2014年12 月( 60 )
- 2014年11 月( 33 )
- 2014年10 月( 11 )
- 2014年09 月( 22 )
- 2014年08 月( 35 )
- 2014年07 月( 67 )
- 2014年06 月( 42 )
- 2014年05 月( 38 )
- 2014年04 月( 62 )
- 2014年03 月( 52 )
- 2014年02 月( 43 )
- 2014年01 月( 51 )
- 2013年12 月( 32 )
- 2013年11 月( 26 )
- 2013年10 月( 11 )
- 2013年09 月( 36 )
- 2013年08 月( 79 )
- 2013年07 月( 72 )
- 2013年06 月( 68 )
- 2013年05 月( 57 )
- 2013年04 月( 59 )
- 2013年03 月( 46 )
- 2013年02 月( 73 )
- 2013年01 月( 114 )
- 2012年12 月( 96 )
- 2012年11 月( 21 )
- 2012年10 月( 55 )
- 2012年09 月( 34 )
- 2012年08 月( 34 )
- 2012年07 月( 67 )
- 2012年06 月( 90 )
- 2012年05 月( 97 )
- 2012年04 月( 108 )
- 2012年03 月( 104 )
- 2012年02 月( 120 )
- 2012年01 月( 93 )
- 2011年12 月( 74 )
- 2011年11 月( 68 )
- 2011年10 月( 77 )
- 2011年09 月( 80 )
- 2011年08 月( 62 )
- 2011年07 月( 79 )
- 2011年06 月( 87 )
- 2011年05 月( 91 )
- 2011年04 月( 70 )
- 2011年03 月( 64 )
- 2011年02 月( 69 )
- 2011年01 月( 135 )
- 2010年12 月( 104 )
- 2010年11 月( 86 )
- 2010年10 月( 57 )
- 2010年09 月( 52 )
- 2010年08 月( 98 )
- 2010年07 月( 73 )
- 2010年06 月( 58 )
- 2010年05 月( 32 )
- 2010年04 月( 52 )
平成の虚無僧一路の日記
「明暗」ってどういう意味?
2020年06月13日
テーマ:テーマ無し
「教えて」のサイトで「虚無僧」を検索したら【質問】虚無僧の胸の前に下げている袋に書かれている文字 「明暗」について、なぜ「明暗」なのか【回答】明暗寺(京都)系の僧侶を意味しています他にも同様のものがありました。よく時代劇で用いられる「明暗」と書かれた箱は、仏教用語のように見えるが、特に意味はなく、「明暗寺の虚無僧」と、所属している寺を示すものである。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ウ〜ム。半分は正しいが、「特に意味がなく」というのは、ひっかかります。「明暗」は悟りを示す仏教用語です。たしかに、歴史的には、江戸時代の浮世絵には、「明暗」と書いた頭陀袋や「偈箱(げばこ)」はありません。明治4年、「普化宗」は廃止され、虚無僧姿で尺八を吹いて門付することも禁止されました。京都「明暗寺」の最後の看主は、寺の本尊である「開祖・虚竹禅師の像」や什物を、知り合いの東福寺の塔頭「善慧院(ぜんねいん)」に預けて出奔します。明治23年、名古屋西園流の樋口対山他、尺八愛好家によって、「善慧院」を寄会所として「明暗教会」が発足しました。当時、キリスト教も公認となったので、“それなら虚無僧も”との思いで「教会」としました。時に、東福寺の本堂が全焼するという事件があり、その再建費用を集める団体として、東福寺の了解をとりつけたようです。
?
それで、昭和初期、“最後の虚無僧”と言われた「谷狂竹」は偈箱に 「京都東福寺内、明暗教会」と書いてました。それでも法律上は、虚無僧は禁止ですから、「谷狂竹」は 二度も警察に捕まって、留置所に入れられ、略式裁判で罰金を払わされています。虚無僧受難の時代でした。虚無僧が晴れて政府公認となるのは、昭和25年のことです。新憲法で「信教の自由」が保証されたために「普化正宗・明暗教会」として宗教法人登記がされます。所在地は「善慧院内」です。「善慧院」は臨済宗の寺であり、その住職は臨済宗の僧呂であって虚無僧ではありません。「善慧院」に虚無僧が常駐しているわけでなく、年何回か、お寺をお借りして、尺八愛好家が尺八の奉納吹奏をさせていただくという関係です。虚無僧愛好家は、年5千円以上の志納金を納めれば「明暗教会会員証」をいただけます。ただし、「これは托鉢を認めるものではありません」との一札が書かれています。「門付」は「もの乞い」と同様とみなされると、現行法でも「軽犯罪違反」になるのですが、「警察は黙認」という慣行になっています。そして、偈箱の「明暗」ですが、これは、戦前、戦後の映画から始まったものです。「虚無僧系図」で「何もないのはさびしいので、何か良い案はないか」という監督の要望に、尺八指導と演奏を担当していた「菊水湖風(柴田聖山)」と「堀井小二朗」が、「『明暗』がいい」と提案して採用されたとか。そんなわけで、「明暗寺」という所属を示すものとして「明暗」になったのは ある意味正しい。高岡の国泰寺派や、紀州由良の興国寺派では「明暗」は使いません。さて、では「なぜ『明暗』なのか」です。「仏教的な深い意味は無い」といわれるのは残念です。深い意味があります。これは「普化禅師」の偈(げ)「明頭来明頭打、暗頭来暗頭打」に由来しています。その意味は・「明にも暗にもこだわらない心」。・「明にあっては明、暗にあっては暗の流れに任せる自在な生方」。・「暗にあっても明なる生き方」・「暗を明に転ずる生き方」などなど、仏教的に深い意味があるのです。
ついでながら、京都の明暗寺は、江戸時代の初期「妙安寺」と書かれていました。当て字は江戸時代よくあることですが、「妙法院」の一画を借りて建てられたので「妙安寺」と付けたと考えています。つまり、江戸時代初期の虚無僧たちは「普化禅師の偈『明頭来明頭打・・・』を知らなかった。虚無僧の宗祖を普化禅師とするのは江戸時代の後半からで、普化の「明頭来・・・」とゴロが同じなので「明暗」と変えたと私は考えます。
>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)
この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません